第二次大戦時、戦車を自国で開発できたのは、ドイツやイギリス、アメリカといった限られた国だけでした。
日本でも国産の戦車は作られていましたが、これらの国と比べると性能的には見劣りするもので、それより小国になると、ほとんどを輸入戦車などに頼っていました。
そのなかで、ドイツの同盟国だった東欧の国家ハンガリーは、小国ながらも自国で様々な戦車を開発していました。
ハンガリーが開発したのはどんな戦車で、どれほどの性能をもっていたのでしょうか。
ここでは、あまり知られていないハンガリー戦車たちを紹介していきます。

ハンガリー軍の戦い

ハンガリーは東ヨーロッパに位置する国ですが、近隣のオーストリアやブルガリア、ルーマニアに比べると、音楽やヨーグルト、吸血鬼といった特徴がない分、日本での知名度は低いかもしれません。
そんな目立たない国ハンガリーは、もともとオーストリア=ハンガリー帝国という巨大な国家の一部でした。
第一次大戦に敗北した後、帝国は崩壊し、ハンガリーはオーストリアと分離され、多くの領土を失いました。
小さいながらも独立国だったハンガリーは、第二次大戦でドイツがヨーロッパを席捲すると、やがてその中に飲み込まれ、ドイツとソ連の戦争に参加することになります。
ハンガリーの同盟国だったドイツが劣勢に陥ると、ハンガリーはソ連と講和し戦争から抜けようとしましたが、この動きがドイツにバレてしまい、遂にはハンガリー国内のファシズム政党の党首が国家元首に据えられ、ドイツの傀儡政権が作られてしまいます。
もはや逃げられなくなったハンガリーは、やがてソ連軍が国内に流れ込み、首都のブダペストが包囲され、ボロボロの状態になりながらも最後まで同盟国としてドイツと運命を共にしました。

トルディ軽戦車

二度の世界大戦でどちらも敗戦国になり、枢軸国のなかでもかなり悲惨な末路を辿ったハンガリーですが、では、ハンガリー軍はどのような戦車を使っていたのでしょうか。
他の多くの小国と同じように、ハンガリーも最初は輸入戦車の国産化からはじめました。
ハンガリーでは1937年から陸軍(ホンヴェード)で戦車部隊の整備が進み、トルディ軽戦車は、スウェーデン製のランツベルクL-60軽戦車をライセンス生産したものでハンガリー初となる国産戦車です。
これは、38MトルディⅠと名付けられ、トルディⅢまでが生産されました。
トルディは、全長4.75m、重量8.5t、最大速度47km/hで、乗員は3名、武装は20㎜対戦車銃と8㎜機関銃、最大装甲厚は20㎜です。
トルディという名前は14世紀のマジャール人(ハンガリーの基礎を築いた民族)の英雄からとられました。
主砲はトルディⅡやⅢでは40㎜や76.2㎜と強化されていきますが、第二次大戦が勃発すると、軽戦車でしかないトルディは、力不足が明らかになっていきます。

トゥラーン中戦車

戦争が起こり、トルディではこれに対処できないと考えたハンガリーでは、新型戦車開発の準備がはじまります。
トゥラーンはチェコのシュコダT-21中戦車をライセンス生産したもので、トゥラーンとはマジャール人の祖先とされるアジアの民族の名前です。
トゥラーン中戦車は、全長5.5m、重量19.2t、最大速度45km/h、乗員5名で、武装は40㎜戦車砲と8㎜機関銃で、最大装甲厚は50㎜ほどでした。
トゥラーンⅠ~Ⅲまでが開発され、トゥラーンⅡからは25口径75㎜砲が搭載されて重戦車と呼ばれていました。
しかし、その性能はあくまでも中戦車で、装甲50㎜は日本の九七式中戦車の25㎜を上回っていますが、ハンガリーの敵であったソ連軍が使うT-34中戦車には敵うものではありません。
トゥラーン中戦車は、配備がはじまった1942年の時点で性能的にはすでに時代遅れになっており、ソ連戦車に対しては常に苦戦を強いられ、ハンガリーも戦車の性能強化を考えていましたが、43口径75㎜砲を搭載する予定のトゥラーンⅢに至っては開発されたものの、結局生産はされず、戦争後半になると43口径砲自体が性能不足になっていました。
それでも、トゥラーン中戦車は、ハンガリー戦車部隊の主力として1944年まで生産が続けられました。

ズリーニィ突撃砲

ドイツの作った突撃砲がソ連軍相手に大きな活躍をしているのを見たハンガリーが、トルディやトゥラーンでは歯が立たないソ連戦車になんとか対抗できないかと、突撃砲を手に入れたいと考えるようになります。
しかし、同盟国であるドイツはハンガリーにまで戦車をまわす余裕がありませんでした。
そこで、ハンガリーは独自に突撃砲の開発を行い、16世紀にオスマン帝国とたたかった英雄の名前にちなんでズリーニィと名付けます。
ズリーニィはトゥラーンの車体をベースにして、固定砲塔を搭載し、105㎜榴弾砲を搭載したもので、全長はほぼ変わりませんが、重量は21.5tと少し重くなり、速度は43km/hと少し落ちています。
乗員は4名に減少し、装甲厚は75㎜に強化されており、性能的にはドイツのⅢ号突撃砲に近いもので、ハンガリー戦車の中でも期待できる性能をもっていました。
しかし、生産を小規模メーカーによる下請けによって行っていたため、実車の納入が遅れ、最終的な生産数も70両ほどで、前線への配備も進みませんでした。
実戦投入されたのは1944年のことで、この頃にはズリーニィもソ連戦車に対して性能不足は否めませんでした。
それでも、ズリーニィはハンガリーが大戦中に開発したなかでは最強の戦車で、実戦ではT-34を撃破する活躍もみせています。

タス重戦車

打倒T-34を目指して1943年から開発が始められた重戦車で、主砲はドイツの主力中戦車Ⅴ号パンターと同じ70口径75㎜砲を装備し、最大装甲厚は120㎜で車体は避弾経始に優れたデザインになっています。
タスとは、マジャール人の有力7部族のうちの1つの族長の名前からきています。
ただ、エンジンに関しては、適切なものが開発できなかったため、ズリーニィに搭載したのと同じものを2つ乗せるという変則的なものになっています。
ハンガリー板パンターと呼べるタス重戦車は、ハンガリー戦車のなかでは間違いなく最強といえますが、工場が爆撃を受けたために開発が放棄され、遂に実戦で活躍することはありませんでした。

タス駆逐戦車(タス・ロハマージュ)

タス重戦車の車体を使用して固定砲塔を搭載した対戦車自走砲型です。
砲塔は75㎜を搭載する案と88㎜を搭載する案があったとされますが、試作車すら作られることはなく、計画のみに終わりました。

ニムロッド対空戦車

スウェーデンのL-60軽戦車を改良して40㎜対空砲を搭載したL-62対空戦車をライセンス生産したもので、その名の通り敵の戦闘機と戦うための対空自走砲で、戦車部隊に随伴して防空戦闘を行いました。
40㎜機関砲装備というのは、トルディやトゥラーンⅠよりも強力で、対空戦車なのに普通の戦車よりも性能がよいという奇妙なことになっていましたが、さすがにT-34には敵わないため対戦車戦をメインに使われることはありませんでした。

チャバ装甲車

チャバは大戦中にハンガリーが使用した国産4輪装甲車で、フン族のアッティラ王の息子から名前がとられています。
全長4.52m、重量5.59t、最高速度65km/h、乗員3名で、武装は20㎜対戦車ライフルと8㎜機関銃を搭載し、装甲は9~13㎜で、トルディ軽戦車とともに偵察大隊に配備されました。

まとめ~全体的に力不足だったハンガリー戦車~

大戦中、積極的に国産戦車の開発を行っていたハンガリーですが、残念なことに、そのどれもが登場したときにはすでに時代遅れの性能不足になっており、ソ連戦車に対しては常に劣勢を強いられていました。
時にはズリーニィのようになかなかの性能をもった戦車を作ることもあったハンガリーですが、それぞれの戦車の生産数も少なく、十分な数が前線に行き渡ることはなく、このあたりはハンガリーの国力の限界ともいえます。
しかし、自国優先のドイツは同盟国にまで強力な戦車を回してくれることはなく、ハンガリーは力不足の国産戦車たちを主力に戦うしかありませんでした。
ハンガリー戦車が知られざる存在であるのも、その多くが目立った活躍を上げることもなく、燃える鉄屑となって戦場に消えていったからといえるでしょう。

 

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