他の動物にはない人間の大きな特徴の一つとして、何かを伝えたり指示したり会話をするときに言葉を用いるという点が挙げられます。普通に考えれば、その言葉を使わないという日など人間にはないと言えるでしょう。

朝起きて人と会えば「おはようございます」と挨拶しますし、歌を歌うときも独り言を呟いても言葉を使っていることになります。しかし、その言葉の中には人を感動させるものもあれば逆に人を失望させるものもあります。

法律的な論点でなく道徳的な視点

この世の中には法律で定められていなくても、放ってはならない言葉というものが多々あります。それは、身内や恋人・場所・状況・他人・対象物など色んな相手やシチュエーションによって数え切れないほどあります。

つい感情的になって口走ってしまったり、悪気のない失言であれば即座に謝罪することで大事には至らないこともありますが、稀に人を失望させたり人が傷つくような言葉を放つ人がいます。その意図は何なのでしょうか?

失望させる言葉を放つ人の共通点

もし意識した上で人に対して失望させる言葉を用いたり、致命的な言葉を放てるのであれば逆のことも可能であると考えられます。つまり人を喜ばせたり希望を与える言葉も放てるはずですが、何故そうしないのか少し疑問です。

それでは、どのようなタイプが人を傷つけたり失望させるような言葉を放つのでしょうか?そこで独自に探求しましたところ、そのようなタイプには共通点があることに気付きました。その共通点については以下の通りです。

相手側の立場で考えたことがない

これは、より良い人間関係を多く築こうとしている人であれば当たり前に気をつけていることかも知れません。しかし想像以上に、相手側の立場になって考えたことがないという人は数多くいます。このような人には共通する口癖があります。

例えば「こんなに頑張っているのに…」「私のどこが間違っているの?」「自分の気持ちはどうすればいいんだ!」などの類いが目立ちます。これらの言葉を受けた側からすれば、返す言葉が見つからないような発言です。

もし相手側の立場を考えられる人であれば、放つことはない言葉です。自分の気持ちや間違いを問われても他者が答えられるはずはないので、本当に失望します。

人間関係に全く興味のないタイプ

人を傷つけるほど辛辣な言葉を浴びせたり、言ってはならないことを平然と口にする人間の中には、人間関係に全く興味のないタイプもいます。普通に人間関係を構築しようとしている人であれば全く考えられない話です。

ですが、人間関係に全く興味や関心のないタイプからすれば、自分が放つ言葉によって相手が落ち込んだり相手から嫌がられても別に構わないので言えるのです。このタイプの特徴は仲間を作らず単独行動が目立つことです。

それゆえに、その場の空気を読むこともないため思いのまま発言します。そうなれば徐々に周りの人間は関わり合いを避けるので普通の人であれば疎外感を受けます。でも人から何と思われようが構わないタイプなのです。

感情のコントロールができない

このような人は皆様の職場や友人にも必ず一人は存在していると思われるタイプです。人間ですので気持ちが抑えきれず感情を露にすることは筆者にもあります。それでも人を失望させるほどの致命的な言葉は放ちません。

何故なら発言する前に、もしも自分が相手の立場だったら…という思考が必ず自然に働くからです。ところが感情のコントロールができない人は、理性を働かせる前に暴言や致命的な言葉を放ってしまう性質なのでしょう。

そのような言葉を放つときに悪意はあるのか否かも気になりますが、いずれにせよ多少はあると考えて良いでしょう。ただこれは育ちの良し悪しで形成される人格でもあり、今まで真剣に諭してくれる人がいなかったのです。

頭の回転が早く弁達者なタイプ

このタイプは意外と政治家・弁護士・評論家・各学者などの職業を持つ人の中にも結構います。彼らは頭の回転が早く理路整然と言葉を放ちますが、色んな状態・環境・現況の人がいることへの配慮は案外苦手のようです。

ですので言葉や物事の知識は豊富だと見受けられますが、人として言ってはならない失言をしてしまい失職する方も少なくないと言えます。もちろん頭が良いので自分が何を話しているか理解しながら言葉を並べています。

でも貧困層の実態や様々な問題を抱える人の側になって考えないため、自信満々で語った一言が致命傷になる場面を幾度も見ました。頭が良くて弁達者の人は、自身の知識に偏る傾向が強いので余計な一言を放ちがちです。

致命的な言葉を放つ人への対処

相手の立場や気持ちを考えず思いのまま言葉を発して、相対する人を傷つける人間とは関わりたくないでしょう。しかし残念ながら関わらざるを得ない状況の人もいます。とはいえ関わらないという姿勢は如何でしょうか?

別に正義を振りかざす気はありませんが、致命的な言葉まで発する人は考え方によっては気の毒な人でもあります。そこで、これより致命的な言葉を放つ人への対処策や、向き合って改善へと導く方法について書き添えます。

こちらも同じ言葉を相手に放つ

同級生や職場の人間など、どうしても顔を合わせる人の中に致命的な言葉を放つ人間がいるという方は、こちらも同様の言葉を相手に放ちます。その上で「そういうことを言われたらどんな気持ちですか?」と伺うのです。

先輩後輩など上下関係があるので難しいと思う人もいるでしょうが、その感覚は時代錯誤です。理不尽なことでも我慢するのが美徳という時代は終わります。ただし、相手には理解して欲しいゆえの行動だという一言は添えましょう。

無神経なタイプには冷静に説明

致命的な発言をする人が悪気があるかどうか微妙な人ではなく、単に無神経な人であることもあります。そのような人に対しては、まず話し合う時間と場所を設けて冷静に説明します。

当然ケンカ腰や上から目線での言い方は御法度です。柔らかい物腰で逆の立場ならどう思うか?など問いかけて諭します。理解できないようなら、今後あなたと同じことをしますと伝え根気強く実行してみるのも一考です。

まとめ

今回は珍しく現実的な事柄について執筆させて頂きました。この記事のメインテーマは“言葉”ですが、本当に言葉一つで全てが一変することもあるほどの効力を持ち合わせています。でも言葉選びは難しいのが現実です。

同じ意味合いを持つ言葉でも、受け取る側の人の気質や性格によっては随分と心象が異なる場合もあるでしょう。例えば「変わってますよね」と「個性的ですよね」とでは受け取る側の捉え方が断然に違うと考えられます。

おしまいに。
その言葉よりも肝心で大事なのは“言い方”なんでしょうけれど、それは言葉遣いよりも難易度が高いです。それこそ、相手や状況次第で変化する必要があったり、ニュアンスも様々で正解の定義もないので大変ですよね。

以上の事を踏まえて、致命的な言葉を放つような人に向き合ってみてください。