(【27】より続き)

死んだふり

子供の相手をしていて疲れた時や面倒くさい時、またはイタズラで、死んだ振りをすることが誰にでもあると思います。目をつぶって、体の力を抜き、大きな声で呼んでも揺すぶられても一切反応しない。そんなイタズラです。
去年までは、そんなイタズラも
「ジェー、どうしたの?お返事して、ジェー」
と最後は私の体を揺さぶりながら、抱きつくように泣き出すこともありました。
これはこれで気分の良いものです。
「ダマサレテル、ダマサレテル」
「心配してる、心配してる」
という感じです。
しかしこの時期には、もう慣れてきてしまっているのでしょうか?
3歳の子供でも学習能力がしっかりとついてきています。
もう、ダマされもしないし、心配もしてくれません。
呼び掛ける声も、
「ジェー⤴」
という、甲高い声で語尾が跳ね上がるものではなく、低音で語尾の下がる
「ジェーー⤵」
というものになっていきます。
わずか3歳児なのに、声のトーンで感情を表し、相手への不満を伝えるのですから、やはり驚くべき成長を人間は日々しているのです。

死んだ振りに話が戻ります。
このような状況ですと、別のリスクが発生して参ります。
死んだ振りは、無抵抗の状態の上、目を閉じているということです。
そんな折、事故が起きました。
私の母がやってしまったのです。死んだふりを。
どのような経緯であったのかは分からないのですが、私の母があおむけで寝転がった状態で死んだ振りをしたのだそうですが、千秋は2度ほど
「おばぁ」
と呼んだそうです。多分語尾が下がっている方だったのでしょう。
そしてその次の瞬間、千秋は母の顔を真っすぐに足で踏みつけたらしいのです。
無抵抗で力を抜いている状態ですので、さぞかし痛かったことでしょう。
鼻血まで出しています。
自分の母親の父親のその母親です。
すでに80歳を過ぎている私の母親の顔を踏んづけたのです。
映像としてご想像ください。地獄絵図です。
もっと女らしく優しく可愛い女の子に育ってほしいものです。

千秋は娘に思いっきり怒られていました。それは当然のことでしょう。
私の母も
「死んだ振りしていたら、本当に死ぬとこだった」
と何か上手い言い方をしていました。
あぶない、あぶない。

お絵描きが得意

お絵描きはずっと大好きです。
得体のしれないものが画用紙に描かれていたりもするのですが、そこは血を分けた可愛い孫ですので、内心その才能を信じてしまうぐらいなのですが、それが親バカならぬジジバカばかりではありません。保育園で描いた絵が最寄りのJRの駅の構内に掲示されることになりました。全員ではありません。いくつかの保育園から選抜されての掲示なのです。
もしかすると、この子が生まれて初めて、私たちじゃない他人に評価された時なのかもしれません。
それも一番得意で大好きな「絵」です。
今までこの子については本当に悩んだものです。
やっと、やっと大きな可能性の一部が華開いたのかもしれないのです。
それも「絵」というアーティスティックな分野です。
偏見かもしれませんが、この分野であれば多少変わり者でも許容されるのではないのでしょうか?
アーティストという隠れ蓑を手にすることで得るものは多いはずです。
まさに「デカシタ」という心境です。

娘からその偉業の報告を受けた私は、すぐに母にも連絡を取り、
「どんな服を着て行ったらいいの?」
という母のトンチンカンな質問にも、一応丁寧に
「駅に貼ってある絵を見に行くだけで、表彰式も記者会見もない」
と説明して出掛けました。
その絵は堂々と駅の構内の中心に存在感を表していました。
私が思っていたよりは多くの絵が張り出されてはいましたが、それらの中でも一段と色彩も豊かで輝くような魚の絵なのです。
良く見ると存在感を表している理由も少しわかってきました。
周りの絵は、「遊園地」や「海水浴」、または「私の家族」などと言った、いかにもほのぼのとした風景画なのですが、千秋の絵は画用紙いっぱいの色鮮やかな魚が1匹なのです。しかもそのタイトルは「さんま」
「なんで?」
日常の中の様々な楽しい出来事の中から、一点をシュールに突き詰めて表現しようとしたのかもしれません。
または、人々が無意識の内に汚していく大自然の中で、壊れていく生態系を見つめて、毒々しい「さんま」を表現したかったのかもしれません。

万が一、将来有名になれば、そんな理由はいくらでも後付けで作ってやりますし、現実の作者の意図を問うものではありませんが、目いっぱいに贔屓目でみても、
「なんでお前だけサンマやねん」
「こんな色のサンマ食べたら、腹壊すわ」
というのが正直な感想です。
もしかするとなのですが、才能はあるのかもしれませんが、その前に選択というセンスを磨いてやらなければなりません。
サンマがダメなわけでは勿論ないのですが、世の中にはサンマよりも強い興味を持つものが沢山あるはずですので、それらを教えていくことこそが私の務めなのだろうと強く実感させられました。
妻も母も、特に絵に対する感想を述べるでもなく、ランチをして帰りましたが、ランチの途中妻が小さな声で独り言を言ったのを聞き逃しませんでした。
「サンマかぁ」
一度高級魚のノドクロでもキンメダイでもしっかりと目に焼き付けさせてから食べさせようと思うのは、世間体を考えた貧しい思考回路なのでしょうか?
サンマが素晴らしく美味しい魚で私も大好きであるということは、年の為に付け加えておきます。

もうすぐ4歳
3歳が終わろうとしています。
本人も3という数字が大好きで、もうすぐ4歳ということについては、かなり嫌がっています。4は好きじゃないらしいのです。
これは私の勝手な思い込みなのでしょうか?
確かに3歳と4歳は大きく違って感じられます。
0歳時に関しては赤ちゃんですし、1歳なんていうのは、まだ歩きもしないのですから赤ちゃんと同じであり、そこに少しづつ表情などが加わる時で、可愛いだけの状態です。
そこから悪魔の2歳時、イヤイヤ期。そして3歳と、やっぱりこの頃までは幼児ですから、何をやっていても可愛いだけの頃なのです。しかし4歳になると、それはもう幼児ではなく子供です。
出来ることなら、この子は3歳のままでいて欲しいと私も本人同様に心底思っていました。

まだ生まれて3年なのか、もう3年も経ってしまったのかはよく分からないのですが、間もなく幼児を卒業してしまい子供へと変わっていくのです。
しかし寂しさとは別に、楽しみもたくさん出てきます。
幼児ではなく子供なら遊園地も楽しいでしょうし、旅行なんかも絶対に思い出に残ります。それにこれからのことは、千秋が大きくなってからも、その時は既に私がこの世にいなかったとしても、記憶の中に残っていく年代なのでしょう。
3歳以前のことというのは、ほとんど記憶から消えていくことでしょうから、今日までの私と千秋との様々な出来事は私だけが覚えていて、千秋の記憶からはなくなってしまうのです。
しかしここからの記憶は結構な割合で残っていくもののようです。

私が死んだ後も千秋の記憶の中に残って行けるような思い出を作り上げていくのはこれからなのです。
私の「おじいちゃん・おばあちゃん」というのは、そんなにたくさんの思い出があるわけでもありませんが、今でも目を閉じればその頃の顔も出来事もいくつか思い出せます。
その何十倍もの記憶をこの子の頭の中に残してやろうと、幼児を卒業する前に強く感じたものでした。

(【29】に続く)