「いつ、何時、誰の挑戦でも受ける」と発言していたアントニオ猪木は、裏では大仁田とだけは絶対に絡むなといったそうです。
猪木という男は、ライバルのジャイアント馬場とは違い、興行の肥やしになると思えば、敵でもリングにあげてきた事で知られています。そんな器の広い猪木の度量でも受け入れられなかった男、それが大仁田厚です。

今回の記事では、そんな類稀なるスポーツエンターテイナー、大仁田厚にスポットをあて、彼がなぜ他のレスラーとは違った道を歩むことになったのか?
そして、他のレスラーと大仁田厚ではプロレスの捉え方がどのように違うのか?といった部分を中心に検証していこうと思います。

大仁田厚プロフィール

まずはじめに大仁田厚のプロフィールを簡単にさらっていくとしましょう。
大仁田厚は長崎県出身です。そういえばプロレスラー以外に、役者として活動している時期もありました。
役者としては同じ長崎県出身の長渕剛の作品に出演してました。「ボディガード」って名前だったような。

身長181センチで体重が77kg。大仁田の有名なエピソードで、プロレスラーとしては身長が低いので、会場を歩くときは、背伸びをして歩いていたといった話があります。
現在のプロレス界はレスラーの小型化が言われていますが、当時の全日本プロレスは190センチ超えのレスラーがゴロゴロしていたので、181センチの大仁田は、入門当初からジュニア決定だったんでしょうね。

現在新日本プロレスのエースである棚橋は身長181なので、現在ならヘビーでデビューしてもそんなにおかしくはないです。

1983年にリングを飛び降りた際に着地に失敗し、全体重がかかった状態で、膝を床に打ち付け粉砕骨折してしまいます。そこで一度目の引退へつながっていく訳です。
その後のFMWでの復帰や、新日本プロレスでの活躍はプロレスファンなら誰もが知るところではないでしょうか?

若手時代は鏡の前でポーズの練習

大仁田は若手時代に他のレスラーとは全く違った練習をしていたようです。現在のプロレスよりもプロレスは格闘技だという色が強い時代だったので、普通の若手レスラーは、体を鍛えあげ、レスリング技術を磨いていたのですが、大仁田は一人で、入場のときのポーズの練習を鏡の前でしていたといいます(笑)

おそらく大仁田厚は、若手時代にすでにプロレスの本質をみていたのかもしれません。
普通は強くなりたいと思いプロレスラーになるものですが、大仁田は若手時代からそんな気は全くなく、このあたりが後に逆に弱さを売りにするようなエンターテイメント的な要素が多いプロレスラーへとなっていく要素だったのかもしれません。

プロレスはエンターテイメントであるから、強くある必要はなく、それよりもキャラクターを磨いたり、客からどう見られるか?という部分を意識していたのかもしれません。

馬場から引退勧告を受けなければ渕になっていた?

CS放送で蝶野正広が司会をつとめる「俺の激闘ベスト5」という番組に大仁田が出演した際に蝶野正広が、一度全日本時代に引退しなければ渕正信のようないかにも全日本プロレスっぽいレスラーになっていたのでは?、という趣旨のことを話していましたが、はたしてそうなのでしょうか?

歴史にもしもはありませんが、NWAジュニアヘビーのベルトを巻いていたり、ジャイアント馬場から気に入られていたことを考えても、もしかすると一度目の引退がなければ渕化していた可能性もあります。
しかし、遅かれ早かれ、全日本プロレスを退団して自由に活動していたような気もします。うーん、どちらも考えられる気がしますね(笑)

少し話はそれますが、全日本プロレスの大量離脱(三沢たちノアの時)の際に渕が新日本プロレスにあがり、完璧すぎるマイクアピールをした事がありました。
全日本プロレスのレスラーは普段は淡々と試合をこなすような印象で、マイクなどレスリング以外でアピールしませんが、やろうと思えば、実はかなりのエンターテイナーなのかもしれません。

そういう意味から考えると、大仁田は馬場全日本的なレスラーといえるのかもしれません。

猪木に大仁田とは絡むなと言わせた大仁田の才能

FMW時代の大仁田は「涙のカリスマ」と呼ばれ、団体のトップとしてFMWの黄金時代を築いていきます。
大仁田は団体が小さく弱いことを、見事に武器に変えることに成功したといえます。

いろいろな解釈がありますが、僕が思うにUWFという団体はプロレスが八百長と呼ばれる部分を払拭したように“みせかける”事で成功した団体です。

それに対してFMWはプロレスが八百長でショーである、いわばプロレスの弱さを逆手にとった部分があるように思う訳です。

どんな弱い部分にでも言えるのですが、団体は小さく、大仁田は弱く泥臭く、正直いって当時のメジャー団体やUWFにFMWが勝てるような要素は何一つなかった。

しかし、大仁田がすごかったのは、プロレスは格闘技ではなく、エンターテイメントであるから、肉体的に強い必要はないし、弱すぎたり自らの涙もろいことも大仁田厚というキャラクターの強烈な個性として、プラスに転化する事ができることを知っていたのでしょう。

これが冒頭で言った猪木の、大仁田とだけは絡むな、に繋がっていったのではないでしょうか?

猪木自身もプロレスがなんたるか?(プロレスは興行でショーであること)を誰よりもよく理解していましたが、強さを売りにするスタイルで勝負していたので、大仁田のようにむしろ弱さで人を引きつけてしまうスタイルの選手と絡む事で、大仁田をリングでボコボコにしたところで、大仁田が得するだけだと感覚的に理解していたのでしょう。

興行会社の経営者として、大仁田と絡むと強さを売りにしている新日本プロレスの方が損をすると思ったので、新日本にも「大仁田とは絡むな」と指示したのでしょう。

大仁田というレスラーを形容するなら、「弱すぎて強くなった」という事が言えるのではないでしょうか?

FMW時代に川崎球場をいっぱいにした事がありましたが、人々は大仁田厚の涙に熱狂していた訳です。

引退後復帰して今度は嘘つきを売りに

大仁田厚のプロレスの中ではマイナスの要素は、全てプラスに変換できるというスキームは、FMWで2度めの引退をした後も、まだまだ通用することを証明していくことになります。

大仁田は盛大にFMWで引退興行をおこない、涙を流し、FMWをハヤブサに託し、自らは引退するわけですが、皆さんご存知の通り、簡単に復帰を果たします(笑)

おそらく大仁田厚にとって引退は、興行のネタであり、ドラマの材料だったんだと思います。

大仁田厚が、胸いっぱいプロレスをやり、業界を去るという作品だったんでしょう。

少しそれますが、スタジオ・ジブリの宮崎駿監督の発言に、アニメは「現実からどの部分を削るかが重要」といった旨の発言をしていたのを思い出します。

プロレスも現実とファンタジーの間をいくから、おもしろいのです。

大仁田厚が引退するのは常に事実です。
現在まで7度復帰していますが、その度に大仁田は本気な訳です。

完全に役になりきっているし本気なので、そのたびに人を感動させる事ができるし、涙も本当なので、人の心を動かすこともできる訳です。

まさにプロレスが感情芸術だというのはこの部分なのかもしれません。リングの上で流している涙も、爆発させている感情もやはり本物なわけです。

(後編へ続く)

 

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