すれ違うふたり

婚活アドバイザーという仕事をしている知り合いがいます。
彼女いわく、男と女はどこまでいってもすれ違う、と。このすれ違いを「そんなもの」と思うようにならなければなかなか成婚に結び付かないのよね。としみじみ。
男性は経済力がしっかりあれば、それだけで自分が望んだ人と「結婚できる」と思っているが、女性の方は「気が合わなければ、愛がなければ、気持ちがしっかりと結び合わねば」とメンタル面での細かな注文が多いと彼女は言います。
相手を選ぶ際に男性は物差しで測れる「現実」を重視し、女性は目に見えない「心」にこだわるとうことでしょうか。

そして男女が結び付きやがて二人の関係が終わったあとにも、男と女はすれ違います。
男性はたとえ目の前からその対象である愛する人がいなくなったとしても心のどこかで相手を思い続けるようです。女性の方はといえば、目の前にその人がいる間は全力でその人を愛しますがいったん手から離れてしまうと、やがてその人をすっかり忘れ次の対象にあっさりと移っていったりします。
そのことは、歌の歌詞などをみていると如実に表されており、別れた後に相手の身を案じるのは男性で、別れるまでにあれこれ思うが別れた後は振り返らないのが女性と描かれています。たまに、女性が過去の男性を思い出しその幸せを想ってみるという歌詞に触れることがありますが、この場合は往々にしてその作者は男性であり「やっぱりな」と思うのです。

愛の図り方

愛を図るというのは俗的な言い方ですが、それはさておき、女性は目に見える物で相手の愛を感じるところがあるのではないでしょうか。プレゼントや、日々の連絡の頻度、愛の言葉など、そういうものがたくさん得られることでどこか安心するところがあります。
海外の事情はよくわかりませんが、日本の女性向け雑誌などをみると、「クリスマスにおねだりしたいプレゼント」特集が組まれていたり、恋愛指南では「連絡が途絶えたら要注意」などと書かれていたりします。
男性の方はといえば、物より「実態」を重視する傾向にあるようです。頻繁に連絡を取ろうと取るまいと、別れず「恋人同士である」「夫婦である」ことを継続しているのは愛しているからであろうという、逆説的な裏付けで愛を図っている人が多いように思えます。
出会いの場面、愛を継続している場面、そして別れの場面とそのあとの場面とそれぞれにおいて、男と女はことごとく違うとらえ方をしているようです。

ある男性の願い

これはまた別の知人から聞いた話です。
医師をしている彼女が出勤前に毎朝行く喫茶店がありそこでよく会う老齢の男性がいるそうです。その男性は同年代の妻と連れ立ってモーニングを取り帰っていくそうで仲の良い老夫婦をうらやましいと眺めていたとのこと。あるときその男性が一人で喫茶店にいるところに遭遇し、彼のほうから彼女に話しかけてこられました。季節の話を少ししたあと、改まって
「腕の刺青を消すにはいくらくらいお金がかかるのか。」
という質問を投げかけてこられました。喫茶店のマスターから彼女の職業を聞き、チャンスがあれば聞いてみようと思っていたとのことです。男性は若いころに一度結婚しておりそのときの妻の名前を刺青にして腕にいれている、そのことを現在の妻はもちろん気づいているがそれについて何か言われたことがない。自分は、重い病気を患っておりたぶんそう何年も生きられそうにはないが、せめて最後にこの刺青だけは消しておきたい。ぽつりぽつりと男性は自分の身の上について語りました。
彼女は雇われ医師で手術にかかる費用について細かいことはよく知らないと前置きをした上で、概算でこれくらいはかかるのではないかという費用を口にすると、男性はちょっと考え
「高いですねえ。」
とこれまたぽつりと言ってその話は終わりになりました。
話を聞いた彼女は
「自業自得とはいえなんだか気の毒で。」
と名も知らぬ男性の想いを案じていました。

この話を聞いて、ここにも男と女の考えの違いをみるように思います。
男性はきっと、今の妻を愛し始めたときから刺青の存在を気にかけ、妻との時間が長くなるのと比例してより重くのしかかっているのでしょう。
男性の妻はたぶん、刺青のことなど気にしてないのではないでしょうか。全くどうでもよいというと嘘になるでしょうが、そのことにこだわり続けていることはないように同じ女性として感じます。
妻の想いからすると、気づかれているのがわかっていながら刺青の話やそれにまつわる話をしないことを男性の愛と納得し受け止めているのでしょう。過去に何があろうとも今こうして目の前にいるのは現在であり、男性がそれを守ろうとするのなら妻は毎朝連れ立ってモーニングに出かける夫の心を疑うことなど無いのではないでしょうか。

手を取り合って生きている二人でさえ、ときに相手の気持ちを図りきれず相手を想うあまりに苦しむことにもなる、そんな男と女の難しさを思います。

違っていても

男性脳と女性脳は基本的につくりが違うと聞いたことがありますが、女性脳では、過去に閉めた扉をその後は開くことがありません。扉を閉めた時点で、考え方や生き方の仕切り直しをすることができます。これは、次に出会ったものを全力で愛するための本能のようなものでしょう。
元来子どもを産み守る性である女性は、いつまでも死んだ子供を想って嘆き悲しんではいられず、次にまた新しい命を産み出し全力で愛を注ぐという本能を持っています。失ったものをないがしろにするという意味ではなく、自分の遺伝子を残すためにそのようにプログラムされているのです。
一方、男性の方は複数の女性に同時に自分の子どもを産ませ育てさせることもできる性であり、その子たちのすべてのお腹を満たすだけの稼ぎを得ようとすることが本能です。究極のところ、男性にとって愛するというのは抱きしめることではなく、我が子とその母の生活を守ることなのではないでしょうか。そして、いったん愛し引き受けたものについては別れようともその責任は変わることがなく、離れていても引き続き気に掛けるのが男性脳のように思います。
そのため、男性は過去に愛した人をずっと引きずっているようなことになり、女性のほうは過去をすっぱり切り捨てることができるように感じられるのではないでしょうか。

時代は流れ、人間の生き方が様変わりした現代においても、男と女の基本的な違いは変わらず残っています。
刺青を入れた男性は目の前にいる現在の妻をおいてほかの人を愛しているはずなどありません。しかし、心の奥底に前の奥さんの存在がまったくないわけではないのでしょう。それは彼の不実ではなく男としての性なのです。心に刻まれた過去は消せなくてもせめてもの償いとして、また愛の証として刺青を消したいという気持ちは彼の真心にほかなりません。

名前も忘れた元カレからのプレゼントを新居に飾ることができる女性と、過去の恋人の幸せを願いながら現在を生きる男性と、それぞれの違いはあっても「愛」の重さに変わりはありません。

男女が共に生きようとするときに相手に求めるべきことは、理想の愛の形を実現してくれるかどうかではなく、異なる脳を持つ異性の中にある愛を感じることができる相手であるかどうかということでしょうか。形は違えども、相手を思う心に違いはないはずです。

男と女は違いに戸惑いながら、理解に苦しみながら今日もお互いを支え生きていく、それが対で生きるということの試練でもあり、喜びでもあるのかもしれません。