グルメとよばれて

SNSと呼ばれるものに手を染めて数年。
もともとは自身の主催するコンサートやイベントの宣伝の場として使うのが目的でした。
しかし、宣伝だけを掲載していても面白くもなく、かといって、私的なことをあれこれ書き連ねるのもどうかと思案し、「我が愛猫のはなし」「おいしいものを食べたはなし」をときどき掲載することにしました。

何を隠そう私は食べることについてかなりこだわるほうです。
「食べることに気を取られるのは卑しいこと」と子どものころに言われた気もしますが、でもやっぱり食べるのが好きです。
近い将来、「食べなくてもサプリメントを数粒飲めば元気で長生き、時間も短縮」、という時代が来たらどうしよう、とどうでも良い心配をしてみたりします。
それはともかく、食べるのが好きな私は趣味と実益を兼ね自分が食べた美味しいものをSNSでぽちぽち紹介するようになりました。

セレブと呼ばないで

そんな流れから、私のSNSに流れるのは、宣伝か食べているはなしか猫の話題。本命の宣伝はさておき、猫の話題については好き嫌いもあるせいか反応はまあまあ。結局、食べる話題が一番盛り上がりを見せるようになりました。
SNSを見てくださっている方に直にお会いすると
「いつも美味しいもの召し上がって、グルメですね。」
なんて言われたりします。
ここで私はうーんと考えこみました。
当たり前のことながらSNSに掲載しているのは美味しいものを食べたときだけであって、まさかお茶漬けオンリーの夕食の日には掲載するわけもなし。
しかし、SNSを見る方からすると、月に2~3度の贅沢ご飯が目に残り私はいつも美味しいものを食べている人になる。
これってちょっと嫌みなセレブ気取りに映ってないか、と小心な私はこれまた小さく悩んだりしました。

見ているのね

SNSにグルメ投稿をするようになってしばらく経つと、掲載したお店の方たちが投稿を読んでくださるようになりそこから繋がりができるようになりました。

そのうちのお一人がTさん。彼は私が大好きなお店のオーナーさんです。
Tさんのお店は老舗の京料理店です。私の住む京都では100年程度では老舗と言わず、「天皇さんが東京に行かはる(行かれる)前から。」というお店も珍しくはありません。
そんな京都でもTさんのお店は老舗のひとつに数えられています。
そのお店は、大通りから入った小さな路地(ろおじ)に建ち、きれいに掃き清められた玄関に風格が漂っています。引き戸を開けると磨き上げられた三和土があらわれ、壁に掲げられた木の看板には「御用達」の文言。ここまででも背筋を伸ばして入らにゃならん、という雰囲気です。
個室に案内され、運ばれるお料理は一品一品が美味しく、そして美しく、口に運ぶたびに
「頑張って仕事をしてよかった。生きててよかった。」
と思わずガッツポーズを取りたくなるような味わいです。
ご推察の通り、お値段もそれなりのため私がこのお店に伺うのは年に1~2度のこと。1年頑張った自分へのご褒美であり、また1年頑張ろうと奮い立たせるための活性剤でありというお店です。
そんなお店のオーナーTさんとSNS付き合いがひょんなことから始まったのです。

TさんのSNS

TさんのSNSの投稿は四季折々の美しいお料理など見ているだけで幸福になれるようなものでした。さすが、京料理の老舗のSNSはすごいわね、と楽しんで拝見していました。

あるとき私は自身のSNSに箱根地獄谷の黒いゆで卵の写真をアップしました。
それは、仕事を終えて家に帰ると叔母の箱根旅行土産としてお菓子とともにテーブルに置かれていたものです。SNSへの投稿ネタが最近なかったので「これでも載せちゃえ。」という軽い気持ちで投稿しました。
と、その投稿にTさんからのコメントが。
「これ、大好き。」
え?老舗料理店のオーナーがゆで卵が好きと?そのギャップにまずは驚き、ゆで卵を剥きつつ「あのTさんがおいしいと言うゆで卵だ」と思うとなぜか値打ちが上がって感じられてしまう自分の現金さに、笑うしかありませんでした。

それからしばらくして、ふとTさんのSNSを見ると目を疑う投稿がアップされていました。
日本人ならだれもが知っているインスタントカップうどんの写真がでかでかと載り
「これ、うまい。」
と添えられていたのです。
Tさんの庶民的な感性に親近感をもちながら、老舗料亭のオーナーがこんなん載せて大丈夫なの?と余計な心配をしてしまいました。
以降、なにがあったのかT氏のSNSは弾け出し、「おったまげ庶民的投稿」が美しいお料理に混ざって投稿されるようになりました。
その結果、お料理だけだったときよりも投稿が楽しみになり出したのです。

本当の芸術家

ずっと以前ですがある絵本作家の方が芸術について何かに掲載されていました。
「芸術家は市井の人としての感覚を持っている必要がある。芸術を楽しむのは税金を納め、子どもを育てるごく普通の社会生活を営む人であるから、芸術家はその感覚を理解し最低限同じレベルの役割を果たしている必要がある。自分は一般の人とは違うという感覚では、親しまれ感動される芸術は生み出せない。」
そんな内容でした。
芸術を他人に理解される必要のないものと解した場合にはこの論理は当てはまりません。しかし、芸術をもって対価を得ようとするならば、そこには他者の「理解と共感」を獲得することが不可欠になってきます。
芸術をビジネスにすることが良いか悪いかという議論はさておき、いったん自分以外の人の目にさらされたときから作品は評価の対象であり、良い評価ひいてはお金を払ってもよいとされる評価を得るには、生み手である芸術家が「市井の人」でいることは非常に重要なのです。
芸術家の端くれである私はこの言葉に感銘を受けて以来、自分の中のひとつの軸として深く胸の奥に刻まれています。

Tさんの生み出すお料理と、SNSの投稿に魅力を感じるのは、先の絵本作家の先生の言葉を体現しているからではないかとふと思うのです。
京料理は味、見た目はもちろん、お店の設えやそこに至るまでのアプローチまですべてが芸術であるといえます。
芸術とは非日常であり、鍛え上げた技術と研ぎ澄まされた感覚によって生み出されるものです。そのうえで、出来上がった芸術を多くの人が受け入れられるように落とし込む、ここまでできるとそれを手に取った人の心をつかむワンランク上の芸術家の仕事に格上げされます。
芸術を芸術のままで出しているなら、ただ美味しい、ただ美しいだけのお料理になるのではないでしょうか。
Tさんのお店のお料理はただ美味しい美しいだけでなく、幸せを実感し次への活力を生み出してくれます。そこに、ただの芸術で終わらない人間理解と愛情が込められているからこそ生み出されたお料理に感動と幸せを感じるのではないかとふと思いました。
インスタントうどんをおいしいと素直にいえるTさんが人の心に響く作品を生む別格の芸術家であることは間違いなさそうです。

私の方は仕事がようやく一段落つき、Tさんのお店に伺える日が近づいてきました。
先ほど、TさんのSNSを覗くと大手中華チェーンでのロンリー夕食風景が堂々とアップされており、思わずニヤリとしました。
今回からはお料理だけでなくその奥にある芸術家の先輩としての心ばえを拝見できると思うと、お店に伺うのがまた格別に楽しみです。

 

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