入院してみたら

秋から相方が入院しています。リハビリが必要なため入院生活が長くなりました。
入院生活は、体の調子が落ち着くと「ヒマ」になります。
まわりの様子が変わらず、かといって自分が遠くに出かけられるわけでもない。毎日、ベッドの周りで起こることだけを見渡しながら過ごすことになります。
相方は同室の患者たちの人生ドラマを唯一の楽しみに毎日を過ごしているようです。

毎日がリサイタル

隣のベッドの男性は60代くらいでしょうか。話から推測するに町工場のようなところを経営しているようです。真面目な性格のようで、リハビリを懸命にこなし自由時間にもリハビリの「自主練」に励んでいます。同年代の奥さんと、30代と思しき娘さんが尋ねてきて世話を焼き言葉少なに会話をして帰っていきます。日中の彼は模範入院患者といえます。
昼間、懸命にリハビリに燃えている分、体が疲れるようで夕食の終わる18時半くらいから船を漕ぎはじめます。
間もなく眠りの世界に入った彼はなんと、寝言で歌を歌うのです。
最初は「うなされているのか?」という雰囲気だったのが、よく聞くとそれはメロディで、延々と続きます。
とぎれとぎれに夜中までリサイタルは続き、その後はしばしの休息のあとまた明け方から第二幕が開催されるというタイムスケジュールです。
なんの歌かはわからないけれど、毎晩繰り返し同じ歌を歌い続け、朝になるとまた真面目な様子でリハビリに励むという繰り返しでした。
彼のリサイタルに同室の患者たちは若干の寝不足を感じながら、静かに観客として耳を傾けるのでした。

祈りの母

しばらくして、新しいメンバーが病室に加わりました。70代くらいの男性です。職場で倒れ緊急搬送されたようですが認知に障害がでている状態です。高齢のお母さんと、患者本人の妹さんがかわるがわる付き添いに病室を訪れていました。
子どもに戻ってしまった彼は高齢のお母さんにまるで子供のように甘えたりすねたりしています。お母さんが持ってくる大福を嬉しそうに頬張る姿に切なさを感じずにはいられません。
入院の日から、彼のお母さんはベッドサイドでひたすらお祈りを続けていました。神道であろうそのお祈りの言葉は切実で、同室の患者たちの心にもひたひたとしみわたっていきます。
平均寿命を優に超えた母が息子のために唱えるお祈りは、この世の無常を感じないわけにはいきません。
息子の苦しみは母の苦しみであり、息子の業は母の業。長寿の幸を受けながら、我が子のために祈る母の悲しみはいかほどか。お母さんの呪文は今日も病室に静かに響いています。
恋するおじさま
少し前に隣の病室から一人の男性が移転してきました。60代くらいの(元)ダンディなおじさまです。50歳に手が届くか届かぬかの妻と、会社の部下二人を引き連れ華々しく転室してこられました。同室の患者たちにあれこれ話しかけ、自分のことも積極的に話す社交家です。
一見、人の好さそうなおじさまの元に夕方になると決まってある訪問者が訪れます。30代くらいの派手な装いの女性です。彼女はおじさまの「彼女」であると、妻に堂々と宣言し病室ですさまじい喧嘩が始まりました。
夫の浮気には慣れてはいるが、重篤な病気を患った今もそれを引きずる夫に激怒する妻。
私は彼の一番の恋人と言い放つ女性。
そしてその中間でなんとか収めようとする部下。
このトライアングルをおじさまは楽し気にみているだけです。
そんな折、東北からだという50代くらいの女性がおじさまのお見舞いにやってきました。彼女はもう長年おじさまと交際していると、これまた隠すことなく言うのです。50代のこの女性は落ち着いたキャリアウーマンらしく、現状を冷静に見定めて帰っていきました。
次にやってきたのは関西方面からのお客様です。彼女は40代くらいで堅実そうな女性でした。病室でおじさまと、おじさまの奥さん、30代の彼女とバッティングしてしまいました。関西方面の彼女はおじさまが既婚者だとは知っていたが、ほかに恋人がいるとは知らなかった。私は真剣に彼を愛したのに。そう言っておじさまをなじると病室を飛び出していきました。
一連の出来事をおじさまは、言い訳をするでもなく開き直るでもなくただ楽しむように見ているだけでした。
女性たちがみな病室から帰ったあと、おじさまは上機嫌で「実はほかにもまだ彼女はいるんだ。」と同室の患者に自慢するのでした。

病室のカオス

病院というのは、最も現実的でそして最も非日常的でもある不思議な場所です。重篤な病気に罹患し長期入院となるとなおのことです。
長い入院生活で体の自由と健康を奪われた患者たちは、病気になる前の日常から切り離された世界に徐々に慣れていきます。慣れていきながら、やがて来る退院の日とその先にある現実について考えなければなりません。
重篤な病気を経験した場合は、ときには病気に罹患する前の生活と退院後の生活は一変してしまうこともあります。人生の大半で「当たり前」と思ってやってきたことが「当たり前」ではなくなることがあるのです。
人間の適応能力とはあっぱれなもので、個人差はあるものの時間をかけて徐々に次のステージに慣れていくことができます。裏をかえせば、それが生きるということだともいえます。
長期入院の病室はその移行期間にある人達のたまり場です。これまでの人生からまた違った目線で生きる人生に代わるための準備の場です。
新たな人生に向けて脱皮を図ろうとする患者たちの集う病室は、「生」を切り開こうとする人間の生々しさが行き来しています。
それぞれの第二幕
季節が移行し、まずは「リサイタル」患者さんが退院することになりました。まだ不自由な半身を家族に支えられながら一歩を踏み出しました。真面目な彼はきっと退院後も自主リハビリに励みいずれはもっと自由に動けるようになることでしょう。毎晩のリサイタルを聞けなくなった同室の患者たちはほっとすると同時に一抹の寂しさを感じていました。

祈る母の息子はまだ入院が長引きそうです。お母さんに甘え、時に泣きじゃくる彼の心中はだれにもはかることはできません。母の祈りは彼女自身の慰めでもあるでしょう。「救いたまえ」と繰り返す祈りはきっとなんらかの形で母子を導くにちがいありません。

恋するおじさまの周辺では急展開が起こっていました。傍目に見るより病状の進行が速いらしいおじさまを、東北のキャリアウーマン彼女が自分のもとで面倒をみると申し出たのです。
おじさまの奥さんもそれに同意し、彼は東北の病院に転院することになりました。「女性キラー」のおじさまは彼なりの真実でそれぞれの女性を愛し、そこに偽りはなかったのでしょう。器用なのか不器用なのかわからないおじさまは、それぞれの女性に深い影を残して遠い雪国へ出かけました。

いつかくる春

同室患者さんのそれぞれの進路が決まり、相方の第二幕が幕開けする日も近づきました。
病室での出来事は患者さんそれぞれの人生の縮図といえます。家族との関係や職場との関係などが現れています。
患者さんたちの人生の中に自分の人生が投影され、それが今後の人生を開くカギになったりもします。
病気によって大きな方向転換を強いられた相方は、ようやく気持ちも方向転換できるほうに向かっているようです。
人生は長いようで短いけれど、やっぱり長いのです。あたえられた人生の日々にはつらいことも多いかもしれません。
そんなときはこの病室の「同期」もがんばっているのだと、そう思うことがきっと生きることの支えになるのでしょう。
相方の回復を祈ると同時に、同期たちの幸せを静かに願います。

 

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