別れ

1年の交際でピリオドを打つこととなった私たち、別れを告げたのは夫からだった。
「友だちのままの方が良いと思う」
Mr.Childrenの曲が流れる真っ暗な部屋の中で私の心臓の部分がきゅっとなった。
“天井が崩れてこのまま二人共死ねばいい”
ショックを通り越した私は暗い部屋の中でひたすらそう思った。
それから3日間ほど寝たきりになり、食事も喉を通らなかった。
唯一、口にしたのは某有名メーカーのアイスクリーム、それが精一杯だった。
アイスクリームを口にしながらも、心臓の部分がキュッと痛くなり涙が溢れてくる。
“22年間1人で生きてきた。大丈夫、また1人に戻るだけ”
何度も何度も自分に言い聞かせたけれど、私は夫への思いを断ち切れず、どん底にいた。
初めてできた彼氏、結婚を意識した相手の存在の爪痕は大きかった。

恋愛でできた傷は恋愛で癒すしかないからとどこかで聞いたようなことを言われ、合コンなるものにも参加したり、男性を紹介されたりしたのだけれど全て上の空だった。
そして立ち直るどころか
“あの人の方が良い、あの人しかいない”
などと、余計に引きずり込まれる思いになっただけであった。
未練たらたらで、どうしたら復縁できるかばかりを考えていた。
失恋ソングを聞いては涙する日々、1日1日が本当に長く感じていた。

どん底からの脱出

そんな時、友人から教えてもらった考え方で私はようやくどん底の暗闇から脱出するのである。
“あの人は死んだ、だからもう二度と会えない”
そう、別れた相手を死んだ事にするのである。
あちらの都合で振られたからにはこちらが何を考えようが自由であり勝手である、しかも誰にも迷惑をかけない。
この考え方は、“復縁したい”とか“また会いたい”など後を引きずるように立ち直れない私にとって、前向きに生きる他に選択肢を与える事がないという、究極の術に思えた。
さらに、妄想が得意な私には実にピッタリだった。

“女は強い、女は強い、だから大丈夫、大丈夫”
そう呪文のように心で唱えながら日々を生きた。こうして私は頭の中で夫を天へ送る事でようやく自分の人生を再び歩み出す事ができた。
失恋がこんなにも痛々しいものとは知りもしなかった。
しばらくすると、恋愛経験が豊富な人はメンタルが強いなと感心できるほど私の気持ちに余裕ができ、私の人生経験の中で失恋という経験を与えてくれた事に感謝するほど私は前向きになっていった。
ただ、申し訳ない事に別れ話の時に流れていた事、夫がボーカルの人と顔が似ている事が原因で私はこの時以降Mr.Childrenが苦手となる。
これが私の夫との失恋の記憶である。

当時の自分に、そんなに苦しまなくてもいずれ結婚できるよと是非言ってあげたい。
こうして死んだはずの夫は今私の隣でパーパーとラッパのようないびきをかきながら寝ているのだから。
人生何が起こるかわからない事を私は身を持って経験した。

そうそう、痛々しい失恋の記憶ついでに…。

予兆

別れる1ヵ月前くらいに私たちは1泊で京都と大阪の旅行に出かけたのだが、今から思えばその辺りで既に夫は私との別れを考えていたのではと思っている。
行先が決まり、本屋で観光のガイドブックを購入しようとした時、自分が欲しいからという理由で支払う金額を割勘にはしてくれなかった。
その時はただお金を負担してくれたんだなと感謝したけれど、あれは恐らく何と言うか私と共有せず自分のものにしたい、今後一緒にいるかわからないなど夫の気持ちが表れた行動だったのではないかと私は思う。

そして、私は私で夫の気持ちが離れているような気がしてならなかった。
旅行中、暑くて汗だくになり、着ていたワンピースが汗で濡れて私のパンツが透けても心配してくれなかったり、歩くスピードを合わせてくれなかったり、2人一緒に写真に写りたがらなかったり…。
とにかく、私への優しさをひとかけらも感じる事ができず、一緒にいるのに一緒にいないという感覚に襲われた。
我慢できずに帰りのバスの中で、何か隠している事や言いたい事はないかと聞いてしまうほど私は不安になっていた。
「今は言えない」
ただそれだけ夫は言った。
私の中で何かがじわじわ確信へと変わっていたけれど、彼氏と彼女の関係をつなぎ止めようと必死で執着していた。
私が追えば追うほど夫は逃げて行く…そんな状態であった。
“離れてはいけない”
そう思い、仕事が休みになる週末は毎週のように実家から夫のアパートに泊まりで通った。
私の夫への“思い”は夫に伝わるどころか、夫からしたら“重い”だった。
お互い同じ気持ちになる、両思いとはどんなに素晴らしい事なのかを実感した。

夫と別れた時に高校時代からの友人に会ったのだけれど、その友人の当時付き合っていた男性というのが大して格好良くないけれど何故かなかなかのプレイボーイだった。
その男性に、
「その元彼は忘れられないくらいそんなに良い男だった?」
と聞かれた事がある。
“お前に言われたくはない”と思いつつも、“まぁ確かに…”と少しは思った。
好きなタイプではないし、ここが好きというポイントも今でもよくわからない。
両家の顔合わせの時、夫の母にお互いどういう所が好きかと聞かれた時も、なかなか思い付かなくて強いて言えばという感じで
「一緒にいて落ち着く」
と絞り出したように答えた。
夫の答えも私と同じだった。
言葉で言い表す事が難しいのだが、縁があったとしか言い様が無い。
よし、結婚しよう!というのではなく、私たちは何となく結婚の流れになったパターンである。
私は今までの経験で、どんなに好きでも頑張った所で縁がない人とは付き合えない、逆に縁がある人とは頑張らなくても付き合えると思っている。

転機

夫に振られてボロボロになりドン底になった私だったが、そこからはもう這い上がるのみ。
自分がやりたいと思っていたアパレルの仕事に思い切って転職し、無我夢中で仕事に没頭した。
失恋の後に大切なのは自分が変わるという事だと思っている。
再び会えた時に、“変わった”と思わせるか、“変わってない”と思われるか。
私の場合は前者であった。
そこが復縁に結びついたと思っている。
仕事が忙しかったせいか痩せて、痩せた事がきっかけで服装も変わり、髪型も変わった。
アパレルでの接客の影響で話す言葉数も増えて、自分が思った事はどんどん言うようになっていた。

再会

「変わったね」
三年ぶりに会った夫から言われ、夫と別れた三年間は私にとって必要な時間だったのだと思えた。
夫はと言うと、見た目は“変わってない”方であったが、話をすると“変わった”と思えた。
仕事に自信がついてきたのか仕事の事を話す口調が楽しそうで、何より生き生きしていた。
三年という時間を経てお互い変わっていた。
人生全てに意味がある。
例えドン底だった事でも、それをどう乗り越えるかで意味のある事に変わるのではないかと思う。

さてさて、そんな具合で夫は、彼氏でもあり元彼でもありという存在になった。
私は大失恋からの結婚となるのだが、夫により終わり良ければ全て良しにされてしまったのが何か癪にさわる。
でも、その人生を選んだのは自分であるという事を忘れないようにしている。
ちなみに、夫は私と別れた1ヶ月後に新しい彼女ができていた。
別にお互い別れているのだからどこで誰とどうなろうと勝手であるが、私だけがあんなに苦しんだのかと正直イラっときたので、私の中では死んだ事にしていたと言ってやった。