「撮り鉄」とラストラン

『ラスト』という言葉の響きは、何かしら寂しい感じもしますが、反対に“長きに亘ってご苦労様でした・・”と万感の想いで受け止める場合もあります。活動する、躍動する姿は見られなくなるから寂しいけれど、沢山の想い出も残してくれたので、何時までも脳裏から離れない、と言う方が適切だと考えております。
『ラスト』は人生のあらゆる事象に出てまいりますが、当然、鉄道の分野でも出てまいります。“あの路線がいよいよ廃線になる、あの列車が引退する、定時運行の時刻表から消える、あの車両が老朽化のため本線上から引退する・・・”このような情報が出ますとざわめき立つのが『鉄チャン』です。
「乗り鉄」はラストランの列車の乗車券を必死で入手して乗車します。ラストラン運行に乗車できたことが自分なりの勲章なのでしょう。他方、「撮り鉄」はどのような動きをするかと言いますと、対象の被写体を何処で、どの様に撮れば良いかを検討します。ラストランになる前から撮り始める人、撮り続ける人、ラストラン当日に狙いを定めて撮る人など様々ですが、目的によって動き方も異なります。とくに引退が決定され、その情報が流れますと俄かにバタバタして落ち着かなくなってしまいます。

例えば2017年(平成29年)10月に引退しました、大阪環状線を48年間走り続けた古豪の103系オレンジ色が姿を消すと発表されますと、環状線の各ホーム(撮影に適した場所という条件は付きますが)は「撮り鉄」で一杯になります。発表前はさほど関心もなく、何気なく乗車していた電車に不思議と愛着を感じるようになってきます。環状線を被写体にして撮り続けている「撮り鉄」には十分に記録として、自分の記憶として忘れることはないと推察します。

「撮り鉄」になってから約50年になろうとしておりますが、今日まで沢山の引退や、ラストランと巡り会って来ました。蒸気機関車が役目を終え終焉の時を迎えた時代、電気機関車がヘッドマークも誇らしげに、東へ、西へ、北へと全国を駆け巡り、高度経済成長への手助けの一端を担っていたブルートレイン、また、昼間帯を駆け抜けていた特急や急行群などが新幹線に追いやられ終焉を迎えた時代、国鉄民営化に伴い、必然的に台頭してくる経営努力と言う課題が重くのしかかり、廃線に追いやられるローカル線や、メンテナンスに人的、物的両面で費用負担がかかり、非効率的と指摘され廃車に追い込まれる引退車両など、様々な背景を知らされて「撮り鉄」は動いておりましたし、情報が入れば今でも走り回っております。
SLは復活運転を熱望する人たちの気持ちを受け止め、山口線を筆頭に全国的に運行をしております。ブルトレを牽引した電気機関車や東京~大阪間を駆け抜けた【こだま】を代表とする電車特急車両、また、【鷲羽】【東海】などを代表とする電車急行車両などは一部、鉄道博物館で見ることは出来ますが今は懐かしい思い出です。大切に保存されている車両がリバイバル運転でお目見えする時もありますが、情報が流れますと「撮り鉄」が動き回って大変です。
私が「ラストラン」で撮り収めた列車はSL除き、ブルトレの【瀬戸】【出雲】【なは】・
【あかつき】【日本海】【急行銀河】や電車特急【雷鳥】、そして【トワイライトエクスプレス】。私鉄では【京阪電鉄1000型(テレビカー)】【名鉄谷汲線700型】でした。なかでも、印象に残る列車二組の「ラストラン」を、撮影した写真を見つつ、記憶を呼び起こしながら紹介します

感激した【瀬戸】のラストラン

ブルートレイン【瀬戸】は1972年(昭和47年)に運用開始された東京~高松間804.7キロメートルを9時間30分かけて1往復走行しておりました。東京を21:05に出発し宇野到着は翌日の7:03分で、宇高連絡船経由で予讃線に引き継いで高松までの路線でした。
1988年(昭和63年)瀬戸大橋線開通とともに宇野線「茶屋町」から「児島」を経て瀬戸大橋線に乗り入れ、予讃線高松までの路線となっております。
現在は【瀬戸】の後継である電車寝台特急【サンライズ瀬戸】が瀬戸大橋を駆け抜けております。

後継が走っているのに何故「ラストラン」と言われるのか、その理由を解説しますが、電車型になるまで電気機関車が客車寝台を牽引していました。EF65型500番代、1000番代の機関車がヘッドマークを掲げて走行していたのです。EF65型PPはブルトレ専用の牽引機関車で、EF66型に変わるまで、【さくら】【あさかぜ】【富士】など主要なブルトレの牽引を任されていたのです。
1998年(平成10年)7月10日をもって牽引方式が終了し電車型に変わるため、「瀬戸」のラストランとなったのです。

さて、撮影場所ですが、東京を夜半に出発した列車は「姫路」到着が5:21です。ほんのりと明るくなって来る時間帯でありますが、カメラに収めるには露光不足なのです。当時はAFカメラが普及しておらず、露出は自分で決めなければなりません。シャッタースピードと絞りをどのように設定して露出を決定するかが難しいので、「姫路」より西、岡山県側で撮ろうと考えました。
この列車は岡山到着が6:29になりますので、「姫路」から40分後の6:00頃に通過する予定の場所を検討しました。引退10日前に「熊山」周辺に狙いを定めて下見に行きましたが、どの情報誌にも紹介されていない「私だけのお立ち台」を見つけて、ラストランはこの場所でと決めました。
撮影時間に「熊山」に到着する電車はありませんので前晩に乗用車で自宅を出発し、山陽自動車道を利用して「和気インター」で降り一般道に合流、熊山駅前駐車場に着いたのが午前2時頃でした。
車中で少し仮眠をとり、持参のオニギリで早めの朝食を済ませ、「マイお立ち台」へ行き撮影準備です。5時30分くらいにカメラを構えてスタンバイ完了状態です。
天候も良く、光も十分ではありませんが撮影に支障を来すと言う状態ではなく安心いたしました。

予想しておりました時刻どうりに列車が直進して来た時は、狙いを定めていた位置(専門用語で(置きピン))での一発勝負でした。シャッタ一ボタンを押し切って列車を見送りましたが、“今の牽引機関車は赤色塗装ではなかったか?”という疑問が湧いてきました。通常の牽引機関車は青色塗装ですから何が何やら頭が混乱してまったく分かりませんでした。
10日の夜東京を出発した【瀬戸】のラストランを「撮り鉄」が一人も居ない場所で見送れた喜びを噛みしめて帰路につきましたが。後日プリントをして「撮り鉄」の先輩に見せましたところ、“これは凄い写真が撮れたね。この牽引機関車はレインボー機と言って全国に2両しかないJR東日本所属のイベント列車専用の牽引FF65型1000番代だよ。ラッキーな写真が撮れたね、羨ましいな”と話してくれました。まさか、レインボー機が牽引して【瀬戸】のラストを飾ってくれるとは思いませんでした。“なぜ赤色塗装なのか?”・・・写真を見るたびに、【瀬戸】感激ラストランを思い出します。

バタバタと動き回った【銀河】のラストラン

東京発21:25(のぞみ265号)が新大阪行きの最終新幹線です。かつては、
最終の新幹線に乗り遅れても「静岡」「浜松」「名古屋」「京都」「新大阪」「大阪」へ帰る便利な列車が存在しました。東京23:00出発、大阪到着が翌日7:18の夜行急行寝台【銀河】です。サラリーマンにとっては重宝した列車ではなかったかと思うのです。
この列車は大阪22:22に出発し、東京へは翌日6:42に到着します。東京発23:00までの約16時間をビジネスに、食事に、一寸した休息に遣うことが出来るのです。
こんな重宝な列車がついに終焉宣言を告げられました。ビジネス情報手段もネット推進の時代に変わり、移動手段も、よりスピード化が求められるようになり、新幹線のダイヤ充実化や格安航空会社の参入、高速バスの台頭など、また、寝台利用者の減少傾向や車両の老朽化が、引退に加速をかけた背景だと言われています。

【銀河】は1922年(昭和47年)に運行が開始され引退までの約60年間東海道で頑張って活躍してきた伝統の看板列車です。急行がゆえにラストランまでヘッドマークは掲げられませんでしたが、最後尾車両の展示窓に(銀河)の文字が輝き、EF65型1000番代に牽引されている雄姿には拍手を贈らざるを得ません。「撮り鉄」だけでなく「乗り鉄」にもフアンが多かったと思います。
実は私も【銀河】に乗車する機会がありましたので少しその時の状況を書いてみます。1998年(平成10年)横浜で日帰りの研修があり、17時の終了次第、新幹線で帰路につこうと考えましたが、この列車に乗車したことがなかったので、この機会に乗車しようと考えついたのです。
22時頃まで居酒屋などで時間を潰し、22:30分頃にはホームに立っていました。EF65に牽引された【銀河】が出発を待っている状態です。24系25型のブルーの車体が鮮やかに目に飛び込んで来ます。普通寝台下段が私の席ですが、向かい側上段の方は早々と寝る準備にかかりカーテンを閉めておられました。結局4人席の内、利用者は二人だけでした。定刻23:00に出発、旧型のチャイムが鳴り車内放送がありますが、放送は一度だけで、明朝までありませんとの案内が終わりますと車内の灯りが減光されます。喫煙者は通路側の横に引き出し方式の簡易椅子があり、そこで一服となります。また、この列車には食堂車もなく社内販売もありません。乗車前に飲食物を確保しておかないと空腹で眠れないですね。
翌日は職場へ直行、その日は勤務だから寝ておこうとベッドに入りました。リズミカルな列車のジョイント音を聞きながら「小田原」を過ぎたあたりで眠ってしまいました。慣れた方は熟睡されるようですが、私はウトウト状態でした。
5:40「米原」を過ぎますと“おはようございます・・”の車内放送が入り、バタバタと洗面所へ向かう人が増えて参ります。淀川を渡りますと終着「大阪」へは7:18定刻どうりに到着しました。一生に一度しか乗車する機会はありませんでしたが。よもや、9年後にラストランを迎えるとは思いもよりませんでした。

さて、2008年(平成20年)3月14日に「東京」、「大阪」をそれぞれ出発する列車がラストランとなりますので、「乗り鉄」も「撮り鉄」も大変です。とりわけ、夜行寝台を撮れるのは、東なら「小田原」以東。西なら「大津」以西となります。3月は夏と異なり、夜明けも遅く、太陽光も弱く感じられますから撮影場所も限定されます。
どこで撮り収めるか検討しましたが、平日のため淀川鉄橋には行けず、ホームでの撮影と決めました。「大阪駅」「新大阪」「東淀川」「吹田」「茨木」などのホームということになりますが、夜間で且つ70キロのスピードで進んでくる被写体を撮りこなせるのは余程の腕前でないと駄目でしょう。
当日は先ず「吹田」に向かいましたが満杯状態です。「東淀川」もベストポジションは人とカメラで満杯。「大阪駅」はどうだろうかと降りてみましたが「銀河」の発車するホームは満杯でした。22:22の発車時刻が迫ってきますから焦りに焦りで急遽、「新大阪」に折り返しです。この駅のベストポジションには到底入れませんので、先頭部機関車を狙うことにきめました。比較的「撮り鉄」が少なく、場所とりも出来たのであとは待つだけです。
22;27汽笛を鳴らして列車が到着しました、牽引機はEF65型1113番で、機関士も2名でした。停車中の列車を撮りますので露出も難しくありません。22:29発車、汽笛一声、静かに動き出し、最後尾のテールマークを見送り「銀河」のラストランを見届けました。東海道のスターとして60年間輝き続けた【銀河】は多くのファンに惜しまれつつ終焉を迎えたのです。ホームの「撮り鉄」が一斉に拍手をし、喚声を上げ叫びます“長きに亘ってお疲れ様、ご苦労様、有難うございました”・・・鉄道を愛する人は純粋かな?

 

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