1955年公開のデヴィッド・リーン監督作品。
キャサリン・ヘップバーン主演で、全編ヴェネチアの美しい風景を堪能できます。
一人旅のワクワク感と孤独感が混じった感情を自然に演じています。

あらすじ

アメリカ人女性ジェーンは38歳の独身女性。
長期休暇を利用してヴェネチアに一人旅でやってきました。
アメリカとまったく違う町並みや雰囲気に胸躍らせて16ミリカメラを事あるごとに回して旅を楽しんでいました。

だけどホテルでは自分以外はカップルばかりで、一緒に過ごしたくても、みんな自分たちだけでさっさと出かけていってしまいます。
一人で観光に行き、サン・マルコ広場のオープンカフェで寛いでいると、斜め後ろのテーブルに座る男性が自分を見ていることに気づいて、そそくさと立ち去ろうとしました。

会計をするためウエイターを呼びますが、英語のため気づいてもらえません。
すると例の男性がイタリア語で呼んでくれました。
ジェーンはオロオロして、お礼も言えないまま慌てて立ち去ります。

翌日、街を散策していると、店頭に目を引くヴェネチアングラスのゴブレットを置いているお店を見つけ、惹きつけられるように入ってみます。
店主は昨日広場にいたあの男性でした。名前はレナート。
ジェーンはなぜかドギマギして挙動不審になり、早々に退散します。

ホテルのテラスで同じ宿泊客の画家夫婦が出かけるのに同伴できないかと聞いてみるが、ジェーンの知らない人たちと約束しているから、と断られます。
手持ち無沙汰になったジェーンは、再びサン・マルコ広場のカフェに行きました。

そこに偶然、画家夫婦が他のカップルとダブルデートしている姿を見て、慌てて人待ち風を装ってイスをテーブルにもたせかけて誰も座れないようにします。
だけど画家夫婦たちはジェーンに気づかずに通り過ぎていってしまいました。

空回りして嘆息するジェーン。
そこへレナートがまたジェーンに会えるかと期待してやってきます。
声を掛けられてはにかみますが、イスをもたせかけたままだったので、レナートは行ってしまいました。

またその翌日は仲良くなったストリート・チルドレンのマイロに観光案内をしてもらいます。
その途中レナートのお店の前を通りかかり、ジェーンはお店の外観を16ミリに映すことにしました。
撮影に夢中になりすぎて後ろ向きに歩いて運河にドボン!
結局、観光を取りやめてホテルに戻ります。

着替えや洗濯を済ませてロビーに降りると、レナートがジェーンに会いに来ていました。
情熱的に口説かれ、戸惑いながらもほだされます。
その夜はまた広場のカフェでデートすることになりました。

夜のサン・マルコ広場は昼とはまた違った趣があり、ジェーンはロマンティックに浸ります。
花売りがジェーンたちのテーブルにやってきて、ジェーンはクチナシを買ってもらいました。
クチナシは、その昔ジェーンがプロムに着けていきたかったけれど高価で買えなかった憧れの花でした。

一緒に夜の街を散策し、途中クチナシを運河に落としてしまいます。
レナートが頑張って拾おうとするのですが、結局取れず仕舞い。
ホテルまで送ってもらい、翌日もデートに誘われました。

翌日、午前中から買い物に出かけてデート用の服や靴を買いそろえ、美容院にも行ってネイルまでやってもらいます。
そうして気合を入れて待ち合わせ場所で待ちますが、レナートが遅れることをお店にいた少年が教えに来てくれました。
その少年と話をすると、彼はレナートの子どもで、レナートは既婚者であることを知りショックを受けます。

積極性が奇跡を生む

ジェーンがヴェネチアに来たのは観光だけではありません。
彼女は旅先でのロマンスを期待しているのです。
それを聞いたホテルのオーナー兼支配人のフィオリニ夫人は、男性を紹介すると言ってくれますが、ジェーンは自分で見つけたいからと断ります。

そのときのフィオリニ夫人のセリフがこのタイトルです。
たしかにその通りなんですよね。
消極的では掴めるロマンスも掴めません。

だけど紹介されることに抵抗がある気持ちもわかります。
気に入ってもらえなかったら傷ついてしまう、という恐怖心があったのではないかと思います。
逆にこっちが気に入らなかったら、紹介してくれた人の手前ハッキリ断るのも悪く思えて厄介なことになりそう、なんて危惧もあったり…

だから紹介をしてもらうより、自然な形での出会いが欲しい。
ロマンスを求めるけれど臆病なジェーンの本音はこうではないかな、と考えます。

でも紹介の申し出があったら、とりあえず受けてみるといいと思います。
自然な出会いというのは社会に出て年月が経つほど少なくなっていくものです。
緊張するかもしれませんが、向こうも同じですよ、きっと。

合わなかったとしてもガッカリすることはありません。
相性が良くなかっただけで別にこちらにも向こうにも人間的な落ち度があるわけではないのですから。
そのままの自分で大丈夫です。

ただフィオリニ夫人はこの後、「ステーキを食べたくても、その場にないなら目の前のラビオリを食べればいいじゃない」とジェーンに発破をかけます。
イタリアの女性、肉食だなぁ(;^ω^)

とりあえず誰とでもいいからイチャコラしたい、みたいな暴論ですが…
手の届かない高嶺の花を追うより妥協も必要、という意味でなら賛成です。

相手のすべてであることは難しい

レナートが既婚者と分かり、ジェーンは傷ついて帰っていきます。
しかし真っ直ぐホテルに戻る気にもなれず、バーでお酒を飲んでいると、画家の妻もやってきました。
何やら彼女も夫婦関係に悩んでいることがあるようです。
「私は彼のすべてでありたいのに!」
彼女はこう叫びました。

何があったのかは分かりませんが、この後ジェーンは、画家とフィオリニ夫人が不倫していることを知ります。
おそらく妻への愛は薄れているか、最悪、なくなっているのかもしれません。
一緒に出掛ける時も夫は横柄に妻を、さっさと来い、と何度も怒鳴っていました。

相手を、身も心も自分のことでいっぱいにしたい、という欲望は恋をすれば湧き出てきますね。
愛情を独り占めして、何かあれば相手には、まず相手自身より自分のほうを優先して行動してほしい…
欲張りで身勝手なことを考えたりすることもあるかもしれません。

だけど相手はその人自身の人生を歩んでいます。
隣で歩いていても、相手のすべてを手にすることはできません。
時間と共に心も移ろっていくものです。
より深い愛情に変わっていくのは、相手のすべてを手に入れようとしなかったカップルのほうではないでしょうか。
相手の意志を尊重する、ということです。

揺らいでも潔く

ホテルまで来たレナートは、情熱的に愛を伝えます。
不倫関係だとしても、こうして出会ってしまったのだから、この愛を止められないし止めるつもりもない、ということです。
一方ジェーンは、これまで真面目に生きてきたし性格も生真面目なため、別居中とはいえ不倫なんてしたくない、と何度も拒みます。

しかし強引にキスされて、あえなく陥落してしまいました。
その夜はレナートと一夜を過ごします。
それからしばらく二人でブラーノ島で数日バカンスを楽しみますが、やはりこの関係は終わりにさせなければいけない、とジェーンは旅を終えることを決意。
出発の2時間前にレナートに帰国することを伝えて彼を驚かせます。
レナートは引き留めようとしますが、ジェーンは断腸の思いで振り切ります。

もうとっくに好きになっている人と別れる。
非常に苦しい決断ですね。
だけど不倫のまま続けていても、幸せにはなれない、とジェーンも気づいていたからこそ、ひと夏の思い出で終わらせることにしたのだと思います。

この先、この恋を思い出して泣くこともあるかもしれないけれど、一皮向けてより人として強くなれて、決してこの決断は間違っていないはずです。

まとめ

ジェーンは恋愛下手ですぐにキョドッたり、空回ったりします。
そしてそのたびに落ち込んだり焦ったり、なんというか非常に乙女な女性なんですね。
いい年をして、と思う方もいるかもしれませんが、いい年になったからといって器用に立ち回れるほどの経験値を積んでいる人なんて少ないと思います。

何歳になっても恋愛で悩んだり振り回されたり、というのはあるのではないでしょうか。
相手が変われば恋愛の形も変わります。
過去の経験が役に立たない場面もたくさん出てきます。
年齢に関係なく、倒れたり転んだりもしながら恋愛経験を積んで、そこから人生そのものを見つめていけたらいいな、と思います。

 

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