今更感満載ではありますが、2018年11月〜12月にかけ、宝塚劇場で公演された、雪組『ファントム』を、Blu-rayで拝見しました。想像していた以上に素晴らしい舞台であるとともに、雪組トップのレベルの高さに、思わず唸ってしまいました。中でも望海風斗は、宝塚の中でも別格のポジションにいるということを、思い知らされました。

『ファントム』ストーリー

ガストン・ルルー原作『オペラ座の怪人』をもとに描かれた『ファントム』。おそらく『オペラ座の怪人』ならば聞いたことがある、と思う方も多いのではないでしょうか。しかし、ストーリーは全く別物。

時は19世紀、パリオペラ座が舞台。歌を愛するクリスティーヌ(真彩希帆)は、街で歌っていたところ、オペラ座のパトロン、フィリップ男爵と出会います。クリスティーヌの歌を高く評価したフィリップは、オペラ座にいる支配人、キャリエールの元へ行き、歌をレッスンを受けるよう後押し。歌うことを何より愛するクリスティーヌは、希望、そして夢のオペラ座に立てるかもしれないという想いを胸に、キャリエールの元へ。しかし、彼女が向かったときには、時すでに遅し
。キャリエールは、支配人を解任されていました。

新しい支配人の妻であるカルロッタのもと、クリスティーヌは歌のレッスンを開始することとなります。しかし、衣装係という、歌とは関係のない役職につけられ、歌のレッスンをまともに受けさせてもらえません。そんなある日、クリスティーヌの美しい歌声を、ファントム(望海風斗)は、自らが暮らすオペラ座の地下から耳にします。その歌声、そして彼女に心を奪われるファントム。「ぜひ僕に、あなたの歌のレッスンをさせてはくれないか」と申し出ます。そのレッスンを機に、クリスティーヌはメキメキと歌を上達。ところが、それを良しとしないのが、嫉妬深いロレッタです。彼女はクリスティーヌに毒入りドリンクを飲ませ、歌えなくします。

そのことに怒ったファントムは、ロレッタに復讐、彼女を殺めてしまいます。殺人犯として追われるファントムは、愛するクリスティーヌとともに、オペラ座の地下に身を潜め、そこで2人はお互いの気持ちを確認し合います。

ファントムがクリスティーヌを愛するのと同じように、彼女もまた、ファントムを愛している、そう思う彼女は、ファントムの顔半分、マスクで覆われたその部分を、「ぜひ私に見せて欲しい。貴方の全てを愛しているから、全てを受け入れる自信がある。私を信じて欲しい」と伝えます。最初は拒むも、ファントムは、彼女の強い想いに心を開くことを決意。しかし彼女は、そこに隠された真実を受け入れることができず、その場から逃げ出してしまいます。

ひとり残されたファントム。殺人犯として追われる中、彼は、愛する人も失い、何も失うものなどない、孤独な状態へと追い込まれます。そこへ、ひとりの男性が現れます。ファントムの父、キャリエールです。キャリエールはファントムが自らの息子であることを、本人に伝えてはいませんでした。しかしファントムは、薄々そのことに気づいていたのです。ファントムが生まれたばかりの頃のこと。どうして父親であることを伝えてこなかったのか、そして、今は亡き、ファントムの母。それは、キャリエールの愛する女性でもあったということ。2人で語らううちに、ファントムがどうしてクリスティーヌの歌声に、こんなにも惹かれたのか、その理由が見えくる。

彼は、自らの悲しい宿命、抱えるべきこととなった悲劇の全てを見つめ、父親であるキャリエールに、たったひとつ、最後のお願いを伝えます。それは、全ての悲しい悲劇の結末であり、数々の孤独や悲しみを背負い生きてきたファントムの、一番安らかな、そして真実の愛と出会う瞬間でもあったのです………

望海風斗の歌には”感情の幅”がある

『ファントム』は、とにかく歌のシーンが多いのが特徴とも言えます。メロディーは同じでも、歌詞は違う。歌詞が変われば、感情の乗せ方も変わってきます。「ただ歌が上手ければそれで良い」だけでないのが、ミュージカルであり、それをやってのけるのが、望海風斗であると実感しました。

彼女の舞台を生で観劇したのは、お披露目公演『ひかりふる路』です。相手役、真彩希帆とともに奏でるハーモニーは、もはや圧巻。大劇場の広さであっても、スペースが足りないのではないか?と感じるほど、凄まじい歌の迫力でした。あの感動は、未だに忘れられませんし、あのコンビ以上の歌声に、私はまだ出会えていません。おそらく今後も、出会えないのでは、と思うほどに素晴らしいものでした。

演出家である生田大和先生も、「望海風斗は、ただ歌が上手いなんてレベルではない。歌に感情を乗せ、それを表現することに、圧倒的に長けている」と、彼女を評価されました。

望海風斗の凄いところは、伸びやかな歌声だけでなく、感情を乗せ歌う、柔軟かつ繊細な抑揚にあると感じます。ミュージカルなどでありがちな、「悲しくてさっきまで泣いていたのに、どうして急に、はっきり歌えるんだ?」というやつ。それが、彼女の場合はなく、実に自然に歌に入っていきます。悲しみの感情を歌に込め、声を絞り出すように歌う。それは、小さすぎてもこちらには聞こえませんし、ましてやうますぎては、違和感でしかない。その塩梅がなんとも絶妙と言いますか、もう、心にグーっと入り込む、こちらまで感情をえぐられるかのような切なさ、苦しさを覚える。観客側まで、舞台の世界で引き込んでしまう、そんな力が彼女にはあります。

だからこそ、観ていて苦しくもなります。思わずファントムの気持ちになってしまい、「こんな悲劇、この世にあってはならない…」と、涙は嗚咽レベルにまで到達。もうこんな舞台、辛すぎて2度と観られない…と思ったにも関わらず、その晩再び、夫とともに、2度目を観ました。

しかし、やはり望海風斗の演技には、引き込まれるものがあり、何度観ても違う感動や感情が湧き上がります。む観るほどに新しい発見があるような気がして、噛めば噛むほど味の出る、スルメイカのような役者だと(例えが微妙でしょうか…)実感させられました。

ファントムは誰の心にも居る

私は『ファントム』を観て、『自分の中のファントム』と出会いました。「自分の中にも、ファントムと同じように、強いコンプレックスがあり、それとともに生きているのだ」ということです。ファントムは、自らのコンプレックスを他人と共有することなく、ずっと自分の中だけにとどめ、生きてきました。キャリエールにも受け入れてもらえず、傷口はさらにえぐられることとなる。

印象深かったのは、ファントムが父親であるキャリエールと、初めて親子の会話を交わすシーンです。今までは、『支配人×地下に暮らす怪人』という関係性であったのが、一気に肉親関係の距離感になる。それは、今までの時間を埋めるという感覚などではなく、今までそれぞれに生きてきた中に散らばるいくつものピースを、2人してまるで答え合わせするかのようも、ひとつの絵を完成させていくような、そんな時間がそこには流れていました。

ファントムは、自らの仮面の下にある傷を、笑いながら、戯けながら、少し冗談交じりで父親に話します。父親もまた、それに続けるように、ファントムの傷に、父親の愛を持って触れます。

触れて欲しくはないところを笑い合えるのは、心を許せる肉親だから許せること。たとえ肉親であったとしても、許されないことだってあります。しかし、この2人は、それをこえたのです。ここには、ファントムがたったひとつ、この世で唯一手にすることができた、真実の愛があったということ。友人もおらず、仲間もいない、恋人も。そんな中、血の繋がる父親だけは、本当の愛を、ファントムへ向けていた。その愛の温もりに触れた時のファントムの表情は、この舞台の中で一番優しく、どこか子供の頃に帰ったような,無邪気な幼さを感じさせました。そしてそんな繊細な役を見事に演じ切った人こそ、望海風斗です。

雪組の『ファントム』はすでに公演が終了していますが、2019年11月から12月にかけ、東京と大阪で上演される舞台には、元月組トップ娘役、愛希れいかが出演(木下晴香とWキャスト)。ファントム役は、加藤和樹、城田優のWキャストで、城田優に至っては、出演だけでなく演出も手がけています。

宝塚を見逃した方は、ぜひこちらを要チェック。と、言いたいところですが、こちらもすでにチケットは完売しています。ぜひ雪組の『ファントム』を、Blu-rayでチェックして下さい。度肝を抜かれますよ。