エピローグ
想い出
赤木しげるの死去から2年5ヵ月の月日が過ぎていた。
ひろゆきは赤木の告別式後に会社を辞め、現在は天の勧めもあり、高齢者を対象とした麻雀の講師として働いている。
また時折、旧知の雀荘のオーナーからの要請により、やくざまがいの面倒な客を出禁にするため、勝負麻雀の代打ち稼業も引き受け糊口を凌いでいた。
基本的にはいつもピーピーしており、懐寒い日々を送っている。
しかし、ひろゆきは生きたいように生きている実感があり、充実した毎日を過ごしていた。
「人はいずれ死ぬ…!ならば、自分の心に沿うべきだ!可能な限り、赤木しげるのように生きるのだ…!」
ある日、ひろゆきは赤木しげるの墓参りに向かった。
すると、街中で偶然、天に出会う。
天も赤木しげるの墓に行く途中だったのである。
赤木しげるの墓は、中央線K駅にある住宅街の片隅にあった。
仲間と離れた遠い場所に立派な墓を建てるより、小さくてもいいから気軽に行ける近場に墓は建てるべきという天の意向によるものだ。
仲間を大切にする天らしい発想である。
道中、思いつめた表情で天は切り出した。
「今さら考えても、埒ないことなんだが…未だに、時々考えちまう…俺は止められたんだよな…って…あの時、チューブを掴むなんて悠長な真似をしないで、引っこ抜いちまえば…少なくともあそこで赤木が死ぬことはなかった…!」
「天さん…」
しばらく天の背中を見つめていたひろゆきは、きっぱりと言った。
「いえ!あれはあれで良かったんだと、俺は思っています…!あの死に方は正真正銘…赤木さんの意志だった…!なら、それを無視して止めたりするのは…」
「それはそう…たしかに、そうなんだが…気がつくと悔いている。果たしてあれで良かったのか…整理がついていねぇんだ…まだ…」
天の気持ちが痛いほど分かるだけに、何も言えぬひろゆき。
しかし、天は思い直したように再び話し出す。
「でもよ…ちょっとホッとするのは…笑ってんだよな…生前そんなに笑う人じゃなかったのに…想い出の中の赤木はいつも笑っている…!どういうわけだかな…救われるんだ…その笑顔で!」
その言葉を聞いたひろゆきはハッとした。
「本当だ…!笑ってら…俺も…!天さん!笑ってますよ、俺も…!思い出すのは笑顔だ…!」
「フフ…なら…良かったのかな…とも思うんだ…その笑顔が浮かぶといろいろ迷ったりもするが…まあ…あれはあれで良かったのか…と…」
天とひろゆきは、よく晴れた青空に浮かぶ赤木しげるの面影を見つめながら、思い出を語り合うのであった。
赤木しげるの人生へのエールを胸に、自分らしい生き方を歩み始めたひろゆき。
天はそのひろゆきに自らの思いを吐露する。
その場面は切ない。
赤木の死を止めることが唯一可能であった天は、2年以上経った今でも後悔していたのである。
それは、人として当然の感情であり、人間味あふれる天ならば尚更のことだろう。
だが、ひろゆきの言葉にもあるように、あの死は赤木しげるの意志であり、あれで良かったに違いないと思うのだ。
赤木しげるの死の整理がつかぬ天の心を救ったのが、生前の赤木しげるの笑顔だという。
私も全く同じ想いである。想い出の中の赤木しげるは、なぜかいつも笑顔なのだ。
死の際、泉下に旅立つ赤木しげるが、最期に仲間たちに見せた微かな笑顔。
静かだが感謝に満ちたその笑顔が、きっと天やひろゆきをはじめとする戦友たちの心を癒すのであろう。
欠片
ふたりが墓に着くと、珍しい先客が参拝していた。
それは金光和尚だった。
「早いな…お前が逝ってもう2年5ヵ月…今んとこ、みんな元気だぜ…あの癌だった銀次もよくは分からねぇが、免疫を高める治療が効いて未だにピンピンしてやがる…!まだ当分…死にそうもねぇよ…まあ、そういうわけで、しばらくはあの世で卓は囲めそうにねぇ…待っててくれや…!もうしばらく…なあ…赤木…!」
グス…赤木に話しながら涙ぐむ金光。
神妙な表情から一転、金光は鞄からノミと金槌を取り出すと「わりーけんど…また少しもらってくぜ…!」と呟き、赤木しげるの墓石を削り出す!
「こらあっ…!」という天の一喝に、金光はビクッ!と慌てふためいた。
「ハハハ…」という笑い声に、天とひろゆきだと気づく金光。
「なんだ…おめえらか…」
「おめえらかじゃねぇよ…!何てことすんだ…?坊主がっ…!」
「う…赤木は怒っとらん!他の者ならいざ知らず…死の際、いろいろ世話したわしだ…だから構わない…!わしが取る分には…!」
墓石の欠片をせっせと鞄に詰め込みながら、「すまんな…すまん…檀家に頭を下げられると、わしも弱いのよ!」金光はそう言うと遁走した。
「ったく…!」呆れ返る天。
フフ…和尚の姿に微笑むひろゆきだが、「しかし、酷いことになってしまいましたね…赤木さんの墓…」
赤木しげるの墓は、この2年半で約3分の1も削りとられボロボロになってしまい、見るも無残な状態となっていたのである。
いつの間にか、赤木しげるの墓は日本全国の博奕打ちに知られることになり、そういう者たちが大挙して訪れる名所…拠り所のようになっていた。
彼等は手を合わせ、戦利品をお供えし帰っていくのだが…いつ頃からか、お守り代わりに赤木しげるの墓を削っていくようになっていったのである。
「バカばかりだ…関係ねえっちゅうの…!勝てやしねぇっ…!そんなもん持ってたって…」天は憤る。
「あ~あ…くだらねぇーもんばっかり置いてきやがって…!」
そう天が言うのも無理はない。
お墓だというのに、カジノのチップにパチスロのコイン…ドル箱…おまけに眠気覚ましの栄養ドリンクまで置いてあるのだ。
つまりは、赤木しげるの墓はギャンブル関係のグッズに囲まれていたのである。
挙句の果てには、墓石に“冷えピタ”まで貼ってあるではないか!
「墓に貼ってどうすんだよ…!バカが!自分の頭に貼れ…!」
熱くなる天に「ハハハ…熱くなった頭を冷やしてくれってことでしょ」笑いながら話すひろゆき。
しかし、ひろゆきは、その光景を見て感じ入る。
「でも幸せ者ですよね…つくづく…俺、知りませんよ…死んでから、こんな風に慕われる人…たぶん、みんな赤木の欠片を持って、赤木と一緒に博奕しているような…生きているような…そんな気になってるんじゃないっすかね。散っていっているんだ…!みんなの胸に…赤木しげるが少しずつ…!」思わず涙がこみ上げるひろゆき。
それを黙って聞いていた天の目にも光るものがあった。
「まあ…そういうことにしとくか…赤木…よくとってよ。しょうがねぇよ…!なんせバカだから…制御できない…頭が悪いから!
ひでぇ盗人どもだが…でも…その欠片を大事にするならケチなこと言わず…削らせてやるか…赤木。こだわらねえだろ…どうせお前は、死んだ後の墓のことなど。許してやってくれや…みんな…好きなんだ…お前が!」
そう赤木に語りかける天もまた、赤木の欠片をそっとポケットに忍ばせていた。
もちろん、ひろゆきも…。
死してなお、皆に慕われ続ける赤木しげる。
なんと、幸せな男なのだろう。
全国の博徒たちが墓石を削りとり、“赤木しげるの欠片”を肌身離さず携え、共に戦いたいという願い。
その源泉は、“神域の男”ならではのカリスマ性に他ならない。
墓石を削るという不謹慎極まりない罰当たりな行動も、なぜか微笑ましく思わせる。
それは、「ククク…仕方ねぇな…バカばりで…!」と笑っている赤木しげるの姿が、容易に瞼に浮かぶからだろう。
きっと、赤木しげるならば拘らない…天ならずともそう思わせるのだ。
最期の刻、心地よい風に吹かれ、飛散した赤木しげるの魂。
その魂は“赤木しげるの欠片”として、人々の心の中で生き続けるに違いない。
赤木しげるに思う
「アカギ」そして「天」を通して描かれた「赤木しげるの物語」も、ついに終わりの時を迎える。
当初、書き始めた時は、まさかここまでの長編になるとは思ってもいなかった。
ただ、赤木しげるの口から紡がれる名言・金言に感銘を受け、それを少しでも多くの人々に伝えられたら…というのが動機であった。
“不世出の天才”にして“神域の男”赤木しげるから放たれる箴言の数々は、決して才ある者だけの言葉ではない。
むしろ、凡庸に生きている我々にこそ、教訓となるものばかりであった。
その赤木しげるの言葉を噛みしめ、少しでも行動に移すことこそ、“赤木しげるの欠片”と共に生きることではないだろうか。
最後に、この「赤木しげるの物語」の執筆の機会を与えてくれた、担当者の小川さんに感謝の意を表したい。
本当にありがとうございました。