天編

最後の面談者

この異例ともいえる通夜の最後の訪問者・天貴史を赤木しげるは迎えた。
「よく来たな…天…変わってねぇ…昔のまんまだな。相変わらず…いい目をしてる!」
その赤木しげるに天は尋ねる。
「これかい?マーシトロンとかいう自殺装置は…!?」
「ああ…試したわけじゃねぇが…最後は眠ったまま苦しまずに逝ける…そんな段取りになっている…!」
「度胸がねぇんだな…案外!あんなもん使うなんてよ…!」
フ~ 赤木しげるはタバコを吹かすと笑いながら答えた。
「ククク…腹でも、かっさばけってか…?」
天は決然と言う。
「いや、そういうことじゃねぇっ…!そもそも死んじまうってことだ…!自殺しちまうってことが問題…!こっちに来て…この話を聞いた時…最初は仕方ないと思った…仮にも赤木しげる…あんた程の男が決めたことだ!俺たちサンピンが、口を挟むべきことじゃない…そう思った…!別段こうしてみる限りにおいて、あんたノイローゼでも鬱病でもないようだし…」
「ハハハ…!」
笑い声をあげる赤木に天は言葉を継ぐ。
「だから黙って見送ろうと思った。思っていた…!しかし…考えが変わった!赤木さん、あんた死んじゃダメだ…!あんた…やり終えていない!
確かにツイてねぇ…よりによって現代医学でもお手上げのアルツハイマーになっちまうなんて…不幸の極みだ…!しかし、その不幸…病も含めて赤木しげるの人生なんじゃないのか?仮に病が進行して、いろいろ失態を演じるようになっても…そいつも含めて赤木しげるだ…!それをやり終えてこそ、赤木しげるの人生は完結する…!」

しばしの沈黙の後、赤木しげるは切り出す。
「ククク…なるほど…なるほど…そういう考えも分からないわけじゃない。尊重するよ、それはそれで…!だが、それはそうしたい者が…そうすればいいだけの話!」
「赤木さん…!いいとこ取りかよ!」
抗弁する天を制す赤木。
「まあ聞けっ…!確かに、人はほっといても自然に死ぬんだから、通常なら俺もそれに任せる…ただ今回の場合、俺はこのままほっとけば死の際、数年…どうしても誰かの世話を受けることになる。半ば眠ったような状態で…」
「いいじゃねぇかっ!みんな多かれ少なかれ、そうなるんだし…だいいち、元に戻るだけだ…!つまり、赤ん坊…この世に来た時の状態になるってことだ…この世を去る時、死の際にそうなることは不思議じゃねぇ…!今は体が先に参っちまって、そうなる前に人は死んでいくが…将来、医学が進歩して体をもたすことが出来るようになったら…みんなそうやって死んでゆくんじゃねぇのか…?つまり…!特別なことじゃねぇっ…!誰かに負わせること…これは仕方ねぇんだ!」
天は必死に説得を試みる。
「ククク…ハハハ…」笑い出す赤木。
「天よ…仮にそうなって…誰も彼もが…そうやって最後の数年間は面倒をみてもらって死んでゆくとしても…俺には関係ない…!俺は他人に関係なく、ただ一人で死んでゆくだけだ…!」
「うっ…!」あまりにも固い赤木しげるの意志に言葉を失う天。
赤木しげるは続ける。
「嫌なんだ…俺は一人で生活を保てなくなったら死にたいんだ…どうあれ…!」
「赤木さんっ…!」
「天よ…そんなにおかしいか…?俺の言い分…!」
「くっ…!」
「こういう話になると、どういうわけかみんな口を揃えて、生きろ!生きろ!と連呼する…問答無用で生きなきゃいけないって話になるんだが…果たして本当にそうか…?それって、ただ生かすだけの医療…ただ患者を延命させることのみに執着する医師たち…そんな連中の言い分と基本的に同じじゃねぇのか?患者本人の意志なんて知ったことじゃねぇ…!1分でも1秒でも生かしゃあOK…万々歳っておかしくねぇか…?いいんだよ…人は死んで…!
天…俺は死ぬよ…俺は…!命は二の次…それより自分が大事だ…!」自らの思いを滔々と語る赤木しげる。
対して、言葉が出ない天。

赤木しげるは再び話し始める。
「少し前に取り沙汰された話で、こんな話があった。いわく、人間はDNAの乗り物に過ぎないって話だ…生命の主役はDNAで、人間はそれにただ操られているに過ぎない!
なるほど、確かに生命誕生以来という大きな流れで考えたらそんな風に考えることもできる。
けどよ…まさにこれっぽっち…!ジャスト「生涯」…!その長い長い生命の時間から考えたら…瞬きみてえな「人間の生涯」ってことでいうなら話は別だ…!」
「別…?」
「そうさ…そうなりゃ、まるで逆転する。少なくとも感覚的には…つまり、DNAとやらも含めてのこの体、この命が…俺の乗り物だ…!主役はあくまで俺…!命は俺を運ぶ者…!俺が、俺を全うするために命がある…!まず、自分ありきだ…!だから、意識に霞がかかった訳の分からない状態で、ただ命を長らえることなんてことは…愚の骨頂!俺にはその意味が分からない…!」
「赤木っ…!違う…!」
「俺が消えた命に…どんな意味がある…?」
「違うっ…!違う違う!赤木っ…!そこがまるで違う…!消えやしないんだ!どうあれ赤木しげるは…!」
「ククク…繰り返しだ…そこから先は!確かに、俺が丸ごと消えるわけでなく、何かが残るんだろうが…いらねぇのさ!そんな自分は…!」
「赤木っ…!狭くないか…?そんな考えは!なぜ、決めつけるんだっ…!無意味だと…!」

カラ…自らのグラスに氷を入れる赤木。
「持ってこいよ…一杯飲もう…!」
そう促され、グラスを取りにいく天。
赤木しげるは天のグラスに氷を入れ、ウィスキーを注ぐ。
「ほれ!付き合え…最後の一杯だ…!」そのグラスを天に渡す。
「うっ…!」
「ククク…お前の言う通りさ…俺は狭いっ…!俺はただ生きる…ただ生きてれば事足りるというような考えかた…つまり、人は生きているだけで価値がある…というその手の感性…御託が嫌いだった!フフ…ひねくれ者なんだ…元々!結局、好き嫌いの話だ…!用がなくなりゃ、消えりゃあいいっていうのは俺の個性の話。だから、仮に間違った考え方でも今さら別人になれる訳でもねぇ…!50年以上、続けてきた俺の在り方…思考だからよ!結局、死ななきゃ治らねぇんだよ…バカは…!」

「く…!」赤木しげるの信念を聞き終え、目を固く瞑り苦悶の表情を浮かべる天。
その姿は、この世の艱難辛苦を一身に背負ったようであった。
「おいおい…!そんな顔するな。俺は結構、悪くなかったと思ってるんだぜ…何だかんだ言っても、こうして50年以上生きてこれたわけだし…もちろん、この病気になったことはツキがない。最悪だ!だが、それでも俺は俺として死んでいけることとなった…!充分さ…!」
スッ… 自らのグラスを天に差し出す赤木しげる。
「ほら…グラスを持て…!酌み交わそうじゃないか……!」
カチッ…お互いのグラスを合わせる両雄。
「最後の酒だ…!」
今生の酒を味わうように飲み干すと、静かにグラスを置き、赤木しげるは言葉を紡いだ。
「いいかな…?そろそろ…ありがとう…天…これでサヨナラだ…!」
その姿は、あまりにも静かな…あまりにも静謐な空気に包まれていた…。

所感

ついに、赤木しげるの通夜の面談者も、残すは天貴史のみとなった。
天の説得の成否に、赤木しげるの命運は託された。

天は言う。「アルツハイマーという病魔、その不幸をやり終えてこそ、赤木しげるの生は全うされる。死の間際、誰かの世話になるのは決して特別なことではない。近い将来、医学が発達すれば、それは全ての人にとって当然のことになるはずだ」と。
しかし、赤木しげるの信念は揺るがない。「それは、そうしたい者がすればいいだけの話。仮にそうなったとしても、俺は他人には関係なく、一人死んでゆく」
また、「生命の主役はDNAで、人間はDNAの乗り物に過ぎないという。だが、俺からすればDNAが主役ではない。主役はあくまで俺…!命は俺を運ぶ者…!俺が、俺を全うするために命がある…!まず、自分ありきだ…」とも語る。

命や肉体はDNAを運ぶためにあるという生命の真理よりも、己を全うすることこそが第一義であると言い切る赤木しげるの発言は、全くそのとおりである。
人は、皆がそうするからと、ついつい自分も模倣する。
しかし、赤木しげるは、あくまで他人は他人、自分は自分という信念を貫き、最期まで自分らしさを全うしようとするのだ。

人の人生はままならない。人は思うように生きられない。
あるがままの自分で生きることの難しさ…。
だが、私は赤木しげるの言葉を聞いて思う。
ならば、人生の最期ぐらいは、自らの思うように幕を閉じてもいいのではないかと。
もちろんノイローゼや精神が錯乱した中での自暴自棄による死は、思うところがある。
しかし、自らの人生を振り返った時に思い残したことがなく、回復が見込めず苦痛のみが待ち受ける辛い未来しかないのなら、人は死んでもいいのではないか。
特に、赤木しげるや私のように家族が居ない独り身ならば…。
心から生を全うした思え、心から死を望むならば、それもその人の人生ではないだろうか。

最後の酒を飲み終え、死を覚悟した赤木しげるの静謐な佇まいは、何とも言えぬ寂寥感を漂わす。
「あ~…ついに、赤木しげるが死んでいくのか…」
そう思ったとき…寂しいような、哀しいような…それでいて、最期まで赤木しげるらしさを貫いて逝って欲しいという思い。
それは、言葉では上手く表現することができない。

「生と死」。
この人間にとって最も重要なテーマを、これほど深く考えさせられたことはないだろう。
私は、赤木しげると巡り会えた幸運を思わずにはいられない。