第5位 U級潜水艦(イギリス)

U級は、第二次大戦中にイギリスで使用され、49隻の大量生産された潜水艦です。
第二次大戦時のイギリス潜水艦は、S級→T級→U級→V級というようにアルファベット順に各級が建造されていき、各艦の艦名がU級ならアプホルダー(Upholder)、アンブロークン(Unbroken)のように、各級のアルファベットが頭文字になっています。
U級潜水艦は、全長58m、排水量540tの中型潜水艦で、速力が水上11.25ノット・水中10ノット、潜航深度60m、乗員27名で、魚雷発射管6門で魚雷10本を搭載することが可能です。
U級は、第1グループから第3グループに分けられ、それぞれ設計に少しずつ変更が加えられています。
イギリス潜水艦は、マルタ島など地中海で活動し、ドイツ・イタリアの輸送船などを攻撃し、北海や大西洋などでも行動しましたが、襲撃する敵艦がいなかったためこちらでの戦果はありませんでした。
イギリス潜水艦は他国と比べて小型でドイツのUボートのような派手な活躍はありませんでしたが、構造が簡単で生産性が高く、大量生産が可能で、これを大西洋から地中海までまんべんなく配置し、哨戒や偵察、襲撃など様々な任務に当たらせることでイギリス海軍を影ながら支えました。
イギリス海軍の潜水艦は、対潜水艦戦も重要任務と位置付けられていて、Uボート32隻と日本潜水艦2隻という戦果を上げています。
U級潜水艦のなかでも最も輝かしい活躍をみせたのがアプホルダーで、マルコム・ウォンクリン艦長のもと、輸送船だけでなく駆逐艦や潜水艦を撃沈し、さらには巡洋艦をも大破させています。
イギリス海軍では戦果を上げた潜水艦が帰港するときジョリー・ロジャー(海賊旗)を掲げる慣習があり、毎回海賊旗を揚げて帰ってくるアプホルダーは、「マルタの海賊」の異名をとるようになりました。

第4位 UボートⅩⅩⅠ型(ドイツ)

ⅩⅩⅠ(21)型は、大戦末期に完成した新型のUボートで、大型水中高速艦であると同時に、シュノーケルを装備しての長時間潜航が可能になった、それまでの潜水艦とは一線を画する画期的な艦でした。
ⅩⅩⅠ型は、全長76.7m、排水量1621t、速力が水上15.65ノット・水中17.2ノット、乗員57名、魚雷発射管6門を装備し、魚雷23本を搭載することができます。
大戦末期には連合軍の航空機や艦艇による対潜部隊が跳梁し、ドイツ軍のUボートは自由に行動することができなくなっており、こうした隠密性の高い艦が必要とされ、このあたりは日本の伊201型と同様です。
ⅩⅩⅠ型は、シュノーケル装置により、潜望鏡を出せる深度なら潜航したままでも蓄電池への充電が可能で、浮上することなく長時間の潜航が可能でした。
さらに、蓄電池自体も大容量のもの372個と大量に装備しており、充電なしでも72時間の潜航が可能でした。
流線型船体の採用によって水中で従来艦の2倍以上という高速を実現し、静粛性も向上して、敵のソナーにも探知されにくくなっています。
当時、最新装備をもっていたアメリカ・イギリスの対潜部隊でさえ、この潜水艦を探知することは不可能でした。
魚雷も豊富に搭載でき、さらに新型の装填装置を装備し、10分で発射管6門を再装填することができます。
船体に余裕があるため、乗員の使えるスペースも広くなり、それまでの劣悪な居住性にも改善が加えられています。
さらに、ブロック工法を採用することで1隻が150日で建造できて大量生産も可能となり、戦局を変える革命的な新兵器として大きな期待をかけられていました。
しかし、大戦末期の燃料不足や乗員の訓練不足、初期不良によって戦力化に時間がかかり、そうこうしているうちに終戦を迎えたため、戦局にはほとんど寄与することができず、不本意な結果に終わっています。

第3位 伊号潜水艦 巡潜乙型(日本)

巡潜乙型は、日本潜水艦のなかでも最も多く建造された大型潜水艦で、日本海軍の主力として活躍しました。
巡潜乙型は、全長108.7m、排水量2198t、速力が水上23.6ノット・水中8ノット、潜航深度100m、乗員94名で、魚雷発射管6門に魚雷18本を搭載することが可能です。
巡潜とは巡洋潜水艦の略で、世界的にみても大型の船体に長大な航続力をもち、長期間外洋での作戦行動がとれる潜水艦のことです。
航続距離の長さを活かしてアメリカ西海岸付近まで進出し、日本に迫りくるアメリカ艦隊を偵察・追跡し、艦隊決戦を援護する役割を期待されていました。
巡潜乙型では、航跡を残さない新型の酸素魚雷を運用可能で強力な雷装をもっていました。
さらに、偵察用として航空機運用能力をもち、零式小型水上機1機を搭載でき、これによって史上唯一となる伊25潜のアメリカ本土爆撃を可能にしました。
一度の魚雷発射で空母ワスプと駆逐艦オブライエンを沈没させ戦艦ノースカロライナを損傷させた伊19潜や空母サラトガを大破させた伊26潜、通商破壊作戦で日本潜水艦トップとなる戦果を上げた伊10潜、重巡インディアナポリスを撃沈した伊58潜など、多くの潜水艦が著名な戦果を残していて、巡潜乙型が名実ともに日本海軍の主力潜水艦だったことがわかります。

第2位 UボートⅦ型(ドイツ)

Ⅶ型は、Uボートのなかでも最多となる700隻以上が建造され、ドイツ海軍潜水艦部隊の主力となった艦です。
第一次大戦からのドイツ海軍の伝統に基づき通商破壊作戦を展開し、大西洋から地中海、遠くインドや東南アジア、アメリカ東海岸、オーストリア近海までとまさに世界各地の広大な海域で活動しました。
Ⅶ型は、全長66.5m、排水量796t、速力が水上17ノット・水中7.6ノット、潜航深度150m、乗員44名で、魚雷発射管5門に魚雷14本を搭載することができました。
急速潜航能力が高く、30秒ほどで潜航することができ、1分ほどかかっていた日本潜水艦の半分ほどで済み、これをみた日本の将兵を驚かせたという話もあります。
ブロック工法の採用によって生産性が高く、1隻あたり300日ほどで建造することができ、大量配備でドイツ海軍の屋台骨を支えました。
しかし、船体は小型だったために居住スペースは狭く、乗員の居住環境は劣悪でした。
ドイツのUボートは集団で船を襲う群狼戦術(ウルフ・パック)によって連合軍輸送船に大きな脅威を与えましたが、連合軍の対潜戦術が向上してくると損害も多くなり、全乗員の70%以上、4人に1人が帰らぬ人となりました。
多用されたⅦ型は武勲艦も多く、大胆にもイギリス海軍の拠点スカパ・フローに侵入して停泊中の戦艦ロイヤル・オークを撃沈したU-47、ドイツトップのUボートエースであるオットー・クレッチマー艦長のU-99、イギリス空母カレイジャスを撃沈したU-29、空母イーグルを撃沈したU-73、空母アーク・ロイヤルを撃沈したU-81、戦艦バーラムを撃沈したU-331などいくつもの艦が戦果を残しています。

第1位 ガトー級潜水艦(アメリカ)

ガトー級潜水艦は、第二次大戦中のアメリカの主力となった潜水艦で、アメリカ海軍はほぼこのガトー級のみで大戦を戦い抜きました。
ガトー級は、全長95m、排水量1526t、速力が水上20.25ノット・水中8.75ノット、潜航深度91m、乗員60名で、魚雷発射管10門に魚雷搭載数は24本と速力から攻撃力まで性能全般に優れています。
通常の潜水艦は、水上航行時にはディーゼルエンジンを使用し、潜航時には水上航行時に充電して蓄電池に溜めておいた電力を使って電動機を動かし推進するという方式を採っていますが、アメリカ潜水艦の場合は、ディーゼルエンジンは発電のみに使用され、水上航行・潜航時ともに電動機を使って推進するディーゼルエレクトリック方式を採用していることが大きな特徴で、こちらのほうが静粛性が高くなりました。
アメリカ潜水艦のもう一つの特徴として、他国の潜水艦と比べての居住性の高さが上げられます。
エアコンに加えて、大型の冷蔵庫を完備して航海中も新鮮な食材をとることができ、海水を真水にする設備によってシャワーや洗濯機も備えていました。
戦後、海上自衛隊に入った旧日本軍の潜水艦乗りは、アメリカから供与されたガトー級潜水艦のあまりの快適さに驚いたといいます。
ガトー級は、レーダーやソナー、水中聴音器など最新の優れた電測装置を備え、レーダーによって夜間でも目標を探知することができました。
さらに、ガトー級はブロック工法の流れ作業で生産されて312隻もの大量生産を実現しました。
規格が厳格に決められていたため、異なる造船所で建造された艦でも互換性をもっていました。
潜水艦どころか軍艦の建造経験すらない民間造船所でもいきなり建造ができたという、当時のアメリカの工業力の高さを思わせる話も残っています。
初期の頃は魚雷の不調などがあって思ったような活躍ができなかったガトー級ですが、魚雷の改良によって本領を発揮できるようになり、最終的に日本海軍艦艇200隻以上、商船1100隻以上を撃沈する戦果を上げました。
ガトー級の喪失数は52隻とアメリカ艦のなかでは多い方で、それだけ多くの戦場で戦った艦といえます。
日本の著名な艦艇も多くがガトー級潜水艦によって撃沈されていて、空母「翔鶴」「大鳳」「信濃」、戦艦「金剛」、給糧艦「間宮」、などがあり、ダーターとデイスのコンビのように重巡「愛宕」「摩耶」の2隻を沈めて「高雄」も大破させた例もあります。

 

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