第二次大戦において、潜水艦は各国の海軍で使用されてその数は2000隻以上といわれ、その隠密性を活かして世界各地の海域で戦いました。
当時の潜水艦は、長時間の潜航はできない可潜艦というべき船でしたが、それでも海の中に潜って気づかれずに相手を攻撃できる能力は水上艦にとっては大きな脅威でした。
そして、潜水艦のなかには多くの輸送船を沈めたり、戦艦や空母といった大物を撃沈する華々しい戦果を残した艦もあります。
ここでは、第二次大戦で戦った各国の最強潜水艦たちをランキングにして紹介していきます。

第10位 K型潜水艦(ソ連)

K型潜水艦は、第二次大戦でソ連海軍の主力となった潜水艦で、正式名称を第14系列潜水艦クルージングといい、非公式な愛称としてカチューシャ級とも呼ばれます。
第二次大戦開戦時、ソ連海軍は213隻もの潜水艦を保有していて、世界最大の潜水艦戦力をもっていました。
しかし、その多くは小型潜水艦で性能的に不足気味で、信頼性にも問題があったため、ソ連潜水艦が大きな活躍をみせることはありませんでした。
K型潜水艦は、全長97.7m、排水量1487t、速力が水上22ノット・水中9ノット、潜航深度80m、乗員66名、魚雷発射管10門に24本の魚雷を搭載しています。
K型潜水艦は、第二次大戦のソ連が運用した最大の潜水艦で、諸外国の主力潜水艦にも匹敵する大型潜水艦でした。
15000浬という長大な航続距離をもち、水中でも9ノットと他国の潜水艦に比べ高速でした。
居住性向上のためにシャワーと浴室を設置したものの、海水真水化装置の開発が上手くいかなかったために撤去されたり、冷凍設備があったものの、冷媒であるフロンガスの不足によってほとんど使えなかったりと、先進的な設計もいろいろと残念な結果に終わっています。
K型潜水艦は通商破壊作戦でなく、艦隊決戦に先立ち敵海軍の戦力を削ぐという日本海軍の漸減作戦にも似た役割を期待されていましたが、ソ連海軍の艦隊戦力自体が貧弱だったためにそういった機会は訪れませんでした。

第9位 伊201型(日本)

伊201型は、潜高(せんたか)型または潜高大型と呼ばれる日本海軍の潜水艦です。
伊201型は太平洋戦争中盤から終盤に建造された潜水艦で、潜高とは水中高速潜水艦の略です。
連合軍によって日本潜水艦の損害が増えていく中、水中での機動性を向上させて被害を防止するとともに、潜水艦による敵艦艇の攻撃機会を増やそうとしたもので、最初の計画では水中最大速力25ノットが求められていました。
伊201型は、全長79m、排水量1070t、速力は水上15.8ノット・水中19ノット、潜航深度110m、乗員31名、魚雷発射管4門に魚雷10本を搭載しています。
要求水準よりは低いものの19ノットという水中での高速性能を実現し、潜高の名に恥じない潜水艦となり、潜航深度も日本潜水艦としては最高水準です。
ドイツから輸入した溶接技術とブロック建造方式によって、月産1隻という大量生産・大量配備を目指していました。
が、潜高型には、水中高速航行時にエンジンの安定性が不十分で、エンジンが故障したりして肝心の高速潜航を行うのが危険であるとされたり、艦が高速で運動していると高速回転する推進器からの騒音によって艦の聴音能力が低下し、高速がかえって仇になり索敵能力が不足するなど、設計・性能に関するいくつものトラブルが浮上しました。
こうした問題点のために伊201型の戦力配備は遅れ、結局、日本海軍期待の新型潜水艦は終戦までに戦列化されることはありませんでした。

第8位 シュルクーフ(フランス)

世界最大の巡洋潜水艦といわれたフランス海軍のシュルクーフは、重巡洋艦と同じ20.3㎝連装砲を搭載した世界でも他に類を見ない巨大潜水艦です。
シュルクーフは、通商破壊作戦と、フランスが世界中に領有する植民地の警護にも使用され、反乱などが起きた際には即座に急行し、20.3㎝の巨砲でそれを鎮圧することが期待されていました。
シュルクーフは、全長110m、排水量2880t、速力が水上18.5ノット・水中10ノット、潜航深度80m、乗員120名で、魚雷発射管12門に加え、魚雷24本を搭載することができ、水上機1機も搭載していました。
日本海軍の伊400型潜水艦に抜かれるまでは、名実ともに世界最大の潜水艦でした。
植民地警備を任務としているため、10000浬の航続距離と3か月におよぶ行動能力をもっています。
通商破壊作戦で拿捕した船の乗員を収容しておくための40名の捕虜を収容するスペースをもつなど、潜水艦としてはユニークな設備をもちます。
この場所には陸戦隊を乗船させることもでき、植民地で有事が起きた際には上陸作戦を行うことも可能でした。
名前の由来となったのはフランス革命の頃、私掠船を率いて暴れまわったロベール・シュルクーフ船長で、通商破壊戦を任務とするこの船にはぴったりの名前です。
シュルクーフの名は現在でもフランス海軍のフリゲートに受け継がれています。
第二次大戦では、フランスが早期に降伏してしまったために、シュルクーフも大きな活躍の機会はなく、輸送船団の護衛など地味な任務に従事していました。
自由フランス海軍の所属となってからの1942年2月、カリブ海のパナマ沖、魔の三角地帯ことバミューダ・トライアングルのすぐ近くの海域でアメリカ貨物船と衝突して乗員130名とともに海に没しました。

第7位 伊400型(日本)

第二次大戦中の潜水艦のなかで、最大の大きさを誇る伊400型は、長大な航続距離と航空機運用能力をもち、別名潜水空母とも呼ばれます。
伊400型は、潜特型といわれ、アメリカ西海岸を攻撃し通商破壊作戦を行うという構想のもと建造が行われました。
もともと日本海軍の潜水艦整備計画にはなかった艦で、建造がスタートしたのは開戦後のことで、一説によるとこの構想を考えたのは連合艦隊司令長官山本五十六ともいわれます。
アメリカを屈服させ、戦争を終わらせる糸口を作るため、アメリカ本土も攻撃可能なこうした兵器の開発を強く後押ししたのです。
伊400型は、全長122mで通常動力型潜水艦としては近年まで世界最大の潜水艦でした。
排水量は3530t、速力は水上18.7ノット・水中6.5ノット、潜航深度100m、乗員157名で、地球を1周半できる37500浬もの航続距離をもっていました。
伊400型のために開発された特殊攻撃機「晴嵐」を3機搭載する能力をもち、さらに艦首には魚雷発射管8門を装備し、魚雷20本を搭載可能と、通商破壊戦を行うために作られただけあって、高い雷撃能力も兼ね備えています。
巨大な伊400型ですが、潜航するのに必要な時間は50秒ほどで通常の潜水艦とほとんど変わりませんでした。
晴嵐は航空機格納筒に入れられ、2機は折り畳み、1機は分解されていて、組み立てから発艦までには十数分しかかかりませんでした。
晴嵐は、フロートをつけた水上機ですが、フロートを外すと560㎞/hの高速を発揮でき、爆弾や魚雷を搭載することができました。
伊400型には航空機を収容するためのクレーンもありましたが、これが使われるのは訓練のみ、実戦ではパイロットのみを回収して航空機は投棄されることになっていました。
伊400型は、伊400と伊401の2隻が建造され、最大の晴嵐運用数は6機となっていました。
たった6機では大した戦力にならないように思われますが、海軍の当初の計画では伊400型は18隻が建造される予定で、これが実現すれば54機もの大編隊を運用することが可能になるはずでした。
しかし、戦局の悪化に伴い、伊400型を大量建造する余裕もなくなります。
伊400型を使用した作戦も、最初はパナマ運河を攻撃して閘門を破壊する計画でしたが、アメリカ海軍の泊地だったウルシー環礁への攻撃に変更され、それすらも日本の降伏によって中止となり、伊400型は晴嵐を海に投棄して米軍に投降しました。
パナマ運河を攻撃するため、晴嵐にはアメリカの国籍標識まで塗装されていましたが、実際にはアメリカ軍が配備していたレーダーによって、伊400型の隠密攻撃は成功しなかった可能性が高いとされています。

第6位 マルコーニ級(イタリア)

イタリアが第二次大戦で運用した主力潜水艦の1つがマルコーニ級です。
マルコーニ級は、全長76.5m、排水量1175t、速力が水上17.8ノット・水中8.2ノット、潜航深度90m、乗員57名、魚雷発射管8門を装備し、魚雷12本を搭載することができました。
マルコーニ級は大西洋で活動することを念頭に建造された大型潜水艦ですが、他国の潜水艦と比較して魚雷の搭載数が少なく、潜航するのに時間がかかるなどの欠点がありました。
イタリアは、開戦時116隻というソ連に次ぐ世界第2位の潜水艦保有国でした。
イタリア潜水艦は、主に地中海で活動して主に通商破壊作戦を行い、他に、人間魚雷や小型潜水艦などの活躍も有名です。
同盟国であるドイツ海軍とも協力して大西洋からはるばるインド洋まで航海してきたものもあります。
イタリア降伏後には、アジアまできていたイタリア潜水艦が日本軍によって接収されています。
マルコーニ級は6隻が建造され、唯一ルイージ・トレッリのみが生き残りました。
ルイージ・トレッリは、イタリアから日本を目指す遣日潜水艦としてマレーシアのペナンに派遣され、1943年のイタリア降伏後にはドイツ海軍に接収され、ドイツ降伏後は今度は日本軍に接収されて3度主人を変えたという珍しい潜水艦です。

続いて、『世界の最強潜水艦ランキングTOP10 第二次大戦編②』では、第5位~第1位を紹介していきたいと思います。

 

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