投稿のきっかけ

今回も「自由記事(10)5本」のコラム投稿に応募いたしました。前回まで、自由記事(9本×5本)で、トータル45本のコラムを投稿したことになります。そのきっかけは、平成30年10月にインターネットを開いておりましたら、(MoonBucks)さんより、鉄道に関するコラム募集がありました。鉄道写真が趣味(俗に言う鉄チャン)でありますから、鉄チャン歴50年間の体験から数多いネタも持ち合わせておりますので冒険のつもりで投稿してみようと決心したのがきっかけでした。テストコラムに応募いたしましたら、「自由記事(1)5本」の応募案内をいただきましたので、勇んで応募いたしました。文章作成経験もなく、1コラム3000字以上が基本、写真が添付される場合は1枚につき100字とカウントされます。したがって、写真5枚を添付すれば、活字2500字で合計3000字となり投稿可となる訳です。5本のコラムを随時、または纏めて納品いたしますと、検品(検収)作業があり、これにパスいたしますと報酬が可能となるわけです。検収の際には、文書作成の方法や誤字などの指摘、とくに新聞、雑誌、その他の書物からの引用についても厳しいチエックが入り、個人情報の取扱いの問題も生じるから、引用については出来るだけ最小限にとどめるようにとの注意点もあります。

投稿した中で印象に残るもの

45本のコラムを投稿しましたが、とくに印象に残るもの10本を列挙して概略だけを紹介させてもらいます。(1)お立ち台・・鉄道写真を撮る際の絶好の場所を「お立ち台」と称します。鉄道雑誌などで紹介されている全国の路線の中での有名撮影場所はもとより、自分で見つけた撮影場所もまた「マイお立ち台」と称します。実際に現場に立ってみて素晴らしいと感じた場所を何カ所か列挙しましたが、JRでは「伯備線布原信号所付近」「筑豊本線中間付近」「北陸本線新疋田付近」
「山陰本線餘部鉄橋」「山陽本線吉井川鉄橋」「琵琶湖線山崎付近」「淀川鉄橋」「呉線安浦付近」
など、私鉄では、「近畿日本鉄道奈良線石切付近」「京阪電鉄橋本付近」「阪急電鉄京都線崇禅寺付近」「阪神電鉄伝法大橋」「南海電鉄本線粉浜駅ホーム」「大阪メトロ中津駅付近」「大阪モノレール山田駅ホーム」「阪堺電車上町線松虫付近」などを紹介しました。(2)ラストラン・・列車が本線上(営業路線)から引退する時の寂しさは鉄道マニアにとって格別の想いにさせられます。とくに感慨深い2本の列車について書きました。1本目は寝台特急「瀬戸」ですが、1993年(平成10年)に引退することになり、岡山の手前(熊山)という駅の近くで撮りました。電気機関車が牽引するブルートレインで、8月の早朝に撮影するため、深夜自宅を乗用車で出発して現場に着いた思い出がありました。2本目は急行寝台「銀河」ですが.2008年(平成20年)に引退することになりました。この列車は(東京~大阪)間を走るブルートレインですが、午後11時に東京を出発し翌朝7時過ぎに大阪に到着します。同じく、大阪を午後10時22分に出発し翌朝7時前に東京に到着します。50年以上、昭和を駆け抜けた列車ですが、サラリーマンにとっては重宝な列車でした。車両の老朽化と利用客の減少傾向から引退に追い込まれましたが、深夜の(新大阪駅)で撮った1枚は貴重なものであり、「銀河」の文字を刻み込んだテールランプが消えてゆく後ろ姿には感傷的になりました。(3)0形新幹線の想いで・・来年は「東京オリンピック」が開催されますが、遡ること半世紀前に、日本で初となる「東京オリンピック」が開催されました。同時に、開催の年3月に東海道新幹線が営業を開始し、登場したのが初代にあたる「0形」でした。開業以来、東海道、山陽を44年間走り続けた「0形」は山陽新幹線での稼働を終え、2008年(平成20年)11月30日をもって引退いたしました。私は1999年(平成11年)に東海道から「0形」が引退したときに、関ケ原付近で雄姿を撮影いたしました。高速で走行しておりますのでシャッタースピードの設定に苦慮したことを思い出します。次に山陽に舞台を移すわけですが、2008年(平成20年)11月をもって引退することが決まりましたので、是非とも撮っておかなければと思い、(西明石~姫路~相生)間をウロウロと駆けずり回っておりました。自慢になりますが、(西明石駅)で撮りました1枚は正面からの写真で宝物であります。「0形」は通称「ダンゴ鼻」と言われますが、まさに「ミスター新幹線」と呼ぶに相応しい列車でした。(4)京都鉄道博物館探訪記・・2019年(平成31年)4月19日に博物館の見学を思い立ちました。JR西日本は、旧交通科学博物館(大阪市)と旧梅小路蒸気機関車館(京都市)を合体して鉄道博物館を創設しました。「京都鉄道博物館」はJR東日本管轄の「さいたま鉄道博物館」やJR東海が管轄する「名古屋鉄道博物館」を上回る規模であり、SLを含む(動態保存機関車5両あり)53両の展示をしている他、(SLスチーム号)の毎日運転や運転コーナーなどが人気を博しております。ぜひ一度来館されることをお勧めします。(5)検定試験への挑戦・・2015年(平成27年)5月、食道およびリンパ節除去手術をし、6月上旬に退院しましたが体力回復に力を注いでおりましたので食べることの練習と抗がん剤投与による副作用からの脱出に必死でした。自宅で毎日テレビ鑑賞では脳の方が退化してしまうと考えるようになりました。体力も付いてきましたので勉強でもしようかという欲も出て参りました。毎日コツコツと勉強するには何が良いかと考えた結果「簿記検定3級」に挑戦することに決めました。翌平成28年度の試験は不合格でしたが、翌々29年度は幸運にも合格いたしました。非常に嬉しかったことを覚えております。次に「漢字検定試験」への挑戦を開始し、現在では「2級」までクリアーしました。今は「準1級」に挑戦中ですが、私にとっては大変難しく、3度挑戦して不合格の連続です。諦めようと思いましたが、目標を立てた以上何度も挑戦してやろうと思いなおし、来年2月実施される試験に4度目の挑戦を賭けて勉強中です。(6)退職とその後の進み方・・これは各人各様でありますから正解というものは存在しません。私は2001年(平成13年)3月に公務員として勤務しておりました市役所を定年退職しました。3年間は嘱託勤務をしておりましたが、その後は民間会社での勤務を希望し、約8年間をパート社員として勤務するに至りました。両親の介護が喫緊の課題として迫ってきましたので勤務を辞すに至りましたが、まだしばらく、せめて75歳くらいまでは働きたいと考えておりましたが、平成27年に食道ガンの手術を受けましたので仕事とは完全に縁を切りました。その代わり、空いた時間を検定試験の勉強に、漢字講座の講師としての活動に回わそうと考え、現在も奮闘中です。冒頭に申しげましたが、各人各様です。しかし私見になりますが、何か目的と言いますか、目標をもって進むことがいつまでも若さを保つ秘訣であると確信しております。(7)がんの告知と公表・・死因第1位に君臨します「ガン」ですが、10年~20年前に比較しますと、告知されてもさほど驚かなくなりました。いまや、2人に1人は「ガン」であると言われており、健康診査の段階における早期発見や治療法の進歩、とりわけ抗がん剤の開発により、受け止め方が変わってきたことも否めません。私も2015年(平成27年)に食道がんおよびリンパ節の除去手術に挑み、治療中の副作用、退院後の食生活で随分苦しみましたが、4年経過した時点では転移兆候も見当たらず、元気に生活をしております。思い返せば、内視鏡検査で腫瘍が見つかり、大阪大学付属病院で「ガン」の告知を受けました時はショック状態でした。75歳の年齢で手術に耐えうる体力が保持できるかという課題もありましたが、担当医の言われるままに任せようと腹を決めて入院、手術、退院後のケアと進んで来ました。ずっと以前は本人に告知することが少ないと聞いておりました。また、周囲には公表しないのが常套とされていたのです。昨今は、有名人が「ガン」の公表をして、治療に専念している姿などをマスコミを通じて知るわけですが、不必要に隠さないという傾向になってきております。人それぞれの考え方に寄りますが、「告知・公表」は違和感で見るべきもの、判断すべきものではないと思うのです。大切なのは「告知・公表」後の治療姿勢や克服過程にあると考えます。(8)年金財政検証・・令和元年8月に発表されましたが、聞きなれない言葉で戸惑いました。しかし、「年金」の言葉がありましたので少し学習してみますと、我々が受給する公的年金と密接な関係にあることが分かりました。年金は、受給するときに、現役世代の給与の50%以上を賄うように考えてある制度なのです。ところが、経済動向に左右され、かつ年金財政逼迫への影響もあって、このまま進むと50%を下回る傾向にあると警鐘を鳴らしているのです。そのための国がとる施策、企業の協力、そして個人のとるべき方策へも言及しております。同年6月には金融庁より「人生100年時代を迎えるにあたり2000万円の資金が必要」という発表もありました。私の場合、退職と同時に公的年金を満額受給しており、支えて貰っている側にいるわけです。しかし、息子たちが年金受給の年代を迎えたとき、年金制度がどの様になっているかが心配です。(9)不安な一夜・・大阪府下吹田市に在住しておりますが、令和元年6月16日午前5時40分頃、自宅から2キロメートルほど離れた千里山交番で巡査が刺され重傷を負い、容疑者が逃亡した事件が発生しました。容疑者は翌朝、現場から4キロメートルほど離れた箕面市で確保されました。事件発生から確保までの時間は不安に駆られた一夜でした。また、容疑者は子供の頃に私の自宅近くに住んでいたので土地勘があったとのことですから尚更です。日頃は閉めない雨戸を閉めて就寝したのも久しぶりで、容疑者確保でホットしました。(10)譲位・・平成天皇(現上皇様)が平成28年に心境を発表されましたが、その時点で「譲位」の考えがおありだと感じられました。85歳になられました天皇陛下には種々の公務が体力的にも激務と感じるようになられたと察します。4月30日の「退位の儀」、5月1日の「即位の儀」をテレビ視聴しておりましたが、79歳の私には、歴史的な儀式を見るのは、おそらく最初にして最後だろうと思います。平成が終わり令和の時代を迎えましたが世情は騒然としております。新天皇陛下ならびに皇后陛下の新しい御代が平穏であることを只々願うのみです。

今後は

クライアント(MoonBucks)さんからの応募依頼が続き、審査にパスする限りは投稿を続けたいと考えております。今は拙文を投稿し、それを検収チエックしていただきながら少しでも上手な文章を作成するように努力しております。また、「自由記事」とは言え、題材の選択には苦労します。新聞や書物、またネットで学習もしますが、(あくまでも自分で経験したこと、見聞したことを自分の目で見て、自分の言葉で文章化し投稿して下さい)と指摘されておりますので頑張りたいと痛感します。100本の投稿が出来たら私にとっては奇跡でしょう。