亡くなったペットのクローンを作ることができる。そんな記事を目にしたとき、思わず真剣に読んでしまいました。大切にし、家族同然のペット。その子がこの世から消えてしまう日がくることはわかっていてもつらいものです。ペットが年を取るにつれ、「その日」のことをどうしても考えてしまうもの。そんなことを思っていたときに目にした記事でした。

但し、猫の場合であれば体の柄は母体の環境が影響するためクローンであっても見た目が同じにはならないとも書かれていました。猫オーナーの私は猫の柄の違いがとても気になります。うちの子によく似た柄の子を見かけると、「あ、似てる。でも、足の模様がちょっとちがう。」とか観察してしまうのです。

柄が足にあろうと、お腹にあろうと猫を飼わない方にはどうでもよい話だと思いますが、好きなものにとってそこは結構重要。うちの子のこのお腹の柄がかわいいのよね、なんて考えていたりするものなのです。なので、クローンだといって柄の違う猫を渡されたらたぶん、しばらくはとまどうだろう、そんなことを考えながら読んでいました。

ペットクローンの別の記事を先日また目にしました。そこに書かれていたのは、クローンは記憶を引き継がないという話。よく考えたら当たり前です。記憶というのは、生まれてから今日まで生きて行く中で獲得するもの。遺伝子が受け継がれたからといってそれがスライドすることなどあり得ないでしょう。
そうは言っても記憶がリセットされたクローンならそれを作る意味があるのだろうか、と考えてしまいました。

クローンの想いの根底にあるもの

他の新しい猫ではなく飼っていた猫のクローンが欲しい、その想いの根底にあるのはなんでしょうか。その子にしかない仕草や表情、自分に対する愛情表現のようなもの、そして自分を慕うその様子など。それをもう一度取り戻したい、そう思うからクローンを作りたいと望むように思います。
ただ、それらのものは全て「記憶」と「経験」によって形作られたもの。持って生まれた本能のような仕草や表情も、実際には時間をかけて変化しその子の特徴となっていたものです。褒められたり、怒られたりそんなことを繰り返しながらその猫の持つかわいさは作られていきます。
また、自分との相性についても。それは一緒に過ごした時間や愛情のかけかたによって築かれた信頼関係から来るもの。根本的に相性が良い悪いというのももちろんありますが、それ以上に一緒に過ごした時間と信頼が「愛」として両者の間を行き来しているように感じます。

クローンの技術が進めばやがては、同じ柄のまったく見分けがつかないほどの見た目の子が作れる日も来るかもしれません。ただ、記憶と経験については、どこまでいっても引き継ぐことができないのだろうと、そして引き継ぐことができないからこそ尊いものなのではないかと思います。

記憶と経験、そしてそこから生まれる信頼関係、それは人が誰かと関わるとき最も大切に思うことです。それがあるから私たちは相手を大切にしたいと思い、相手からも大切にされるのでしょう。
では信頼関係とはいったいなんなのでしょうか。社会の中や、家族の中、個人同士の関係においても常にこの「信頼」というものが重要な役割を果たしています。

恋愛に関する指南書などでは、「信頼」がある二人の絆は強固なもので、これが薄いと壊れやすくがたがたと崩れていってしまうこともあるのだとか。それはなんとなくわかるのですが、では具体的に信頼関係ってなに?と聞かれるとなかなか難しいもの。

そこで先ほどのクローンの話に出てきた猫のことで考えます。動物というのは言葉がわからず、人間のように徐々に理解力が増すということは基本的にはありません。「大好きよ」「ここで私が守ってあげるからあなたは安心してくつろいで良いのよ」と言葉をかけたところで相手は理解できないのです。彼らにわかるのは、自分にとって不都合なことや悪いことが起きそうなのかどうなのか、ということぐらいでしょう。

人間から虐待を受けて捨てられた動物や、赤ちゃんのときに行き場を失った動物は基本的に他者を信用していません。目の前に美味しそうなご飯がおかれ、お腹がとても減っていたとしてもそれに手を付けることができない子もいます。シャーと威嚇し、にらみつけてくる子も。
保護したこちらとしては、ご飯を食べさせて幸せにしてやりたいと思っており、その想いに損得勘定はないのですから、非常に傷つきます(笑)。なんだったら腹が立つことさえあったりします。

しかしそれはこちらのエゴであって、もしそれでも関係を進めたいのであれば、理解力が違うもの、若しくは経験として不幸な出来事を経たものに対しては根気強く相手が信頼するまで誠意を見せるしかありません。シャーと言おうと、こちらの用意したご飯を無視しようと諦めることなく相手を愛し続けることしかできないのです。
そして、非常にわかりやすいのですが、動物との関係の場合、大抵はこうして接しているうちにお互いに信頼関係が芽生え一緒に暮らしたりすることができるようになります。

クローン猫を欲しいと考えるとき、人はこの信頼関係を築く過程をすっとばして仲良くなりたいと思うのでしょうか。若しくは、あの子だから信頼関係を築くことができたのであって、だからあの子をもう一度側におきたいと考えるのでしょうか。

信頼関係を築く、ということ

動物との信頼関係を築くとき、その子を自分の家族に受け入れようと思うきっかけはそれぞれですが、基本的には「この子は自分の子にしよう」と考えて一緒に過ごしています。言うことを聞かないなら即刻捨ててやれ、とは通常考えません。考える方もありますが、それはここでは議論しません。自分の子にしようと考えるとき、私たちはどんな子であれ受け止めようという気持ちがあります。自分にとって都合がよいかどうかや、自分の理想に近いかどうかという判断はしません。うまくやっていくことしか考えないのです。その想いがやがて言葉のわからぬ動物に伝わり、彼らは私を家族として仲間として信頼し、私の隣で仰向けになって熟睡するようになるのです。

人間関係においても、信頼を築いていくということはそういうことではないかと思います。この人を大切にしようと決めて、実際に大切にし、自分の理想に照らし合わせてみるのではなく相手をありのままに受け止めること。そして、お互いにとって良い状態を上手にすり合わせ作っていくこと。そういう心づもりで相手を受け入れるとき、やっと「信頼」が生まれてくるように感じます。

相手を受け入れること

恋愛感情が絡む場合、女性であれば相手から「好きになってもらいたい」という思いが先行するためそれが大きな壁となって関係を阻んだりします。第三者としてみると、良く知らない相手を好きとか嫌いとか判断のしようがないと思うのですが、こちらが好意を持ってしまうとついそのような思考回路に進みがちです。
それよりもまずは、相手を受け入れる覚悟をすること。そして根気よく待つことの方が本来は先にすべきことなのではないでしょうか。

倫理上の問題は脇において、もし人間のクローンができるとしたら。あの人のクローンが欲しいと考えるとき、その本意の中には「あの人と私との間にあったのと同じ信頼関係をもう一度もちたい」という気持ちが少なからずあるでしょう。しかしそれはできません。
相手の存在をありのままに受け止めそして、相手も同様にそれをする。そのような信頼関係とは科学の力をもってしても引き継げない神秘的なもの。

科学の力では手に入らないけれど、心の持ちようで手に入れることができるものでもあります。
どんなに科学が進もうとも、他者との関係は自分の心が作っていくものだと、クローン記事から考えを馳せていました。