10年ひと昔

「20年前」というとずいぶん昔のように感じるでしょうか。10年ひと昔と考えると「ふた昔」前ということになりますから。
こんなことを言うと年齢がわかるのですが、約20年前に大学生だった私にとって、その「ふた昔」前はそれほど過去のことのようには思えません。最も、その20年の間に時代は変化し、生活も大きく進化を遂げました。

一番の大きな変化は、携帯電話とパソコンの普及だと感じます。人と人とをつなぐコミュニケーション手段が変わったことで、人間関係そのものにも変化が訪れているのです。

20年前のライターのお仕事

約20年前に女子大生だった私は、地元の雑誌でモデル兼ライターとして楽しくアルバイトにいそしんでいました。当時は、情報といえば紙媒体が主流。それぞれの年代や目的別に創刊されたたくさんの雑誌が本屋さんに並んでいたもの。

実際の仕事の進め方として、まず、月に一度ミーティングのために会社に出向きます。そこで、他のライターさんや、雑誌の編集者さんとテーマや内容について打ち合わせ。担当ネタや役割分担までが決められます。それを持ち帰りそれぞれが取材を実行するのですが、現在のようにメールやインターネットが発達していないころのこと。実際に足を運び、電話をかけて取材するので、今よりもかなり経費と時間がかかっていました。原稿ができたら、ファックス又は実際に雑誌社に持ち込み赤入れ。そして入稿から約2か月を経て華々しく紙面に掲載されるという流れであったように記憶します。

肝心の内容ですが、私の記憶にあるのは「○○大学学食の人気メニュー」「○○駅での待ち合わせスポット」といった特集。記事はもちろん、写真を入れるのですが当時はまだ、写真は携帯電話ではなくカメラで撮る時代です。雑誌社に借りたカメラや、時にカメラマン同行で取材をしていました。いや、贅沢なことです。

電話は用事があるときに 相手が出るまでかけるもの

20年と少し前、まだまだ携帯電話が普及せず全員が持っているわけではありませんでした。ですので、雑誌社に連絡し担当者に連絡を取ろうとしても、そう簡単にはいきません。コールバックしてもらうにしても、こちらもずっと固定電話のあるところにいるわけではないので、すれ違いが日常茶飯事。伝言&伝言で話を進めることも珍しくはありませんでした。

仕事の連絡はもちろん、友人や恋人との連絡手段も同様。当時、ポケットベルが流行し大学生の多くがそれを携帯していました。ポケットベルと言っても当時の若者が持っていたのは、ピンクやゴールドの可愛い形のもので、ディスプレイ部分に現在のメールのようにメッセージが残せるもの。自宅の電話や公衆電話の数字を文字に読み替えて短いメッセージを送ることができました。

電話は学生の場合は自宅電話しかないのが普通ですから、家族と暮らしている場合やアルバイトなどで不規則な生活の相手を捕まえたい場合は、このポケットベルのメッセージに「今、家にいる?」というメッセージを送りあってようやくつながるもの。ポケットベルの流行は本当にこの数年間だけでしたので、その前の時期はもっと連絡をとるのが難しかったことが推測できます。即ち、20年以前は誰かと連絡を取るということは簡単なことではなかったということです。

連絡が取れてしまう不便さ

現在、仕事柄お悩みを聞く機会が多いのですが、人間関係において便利なはずの携帯電話やインターネットが悩みの根源になっていることも少なくありません。
インターネットサイトのお悩み相談にもよく見られる「既読or未読スルー」。恋人や友人からの連絡頻度が少ないといったものなど。

携帯電話が主流ではなかった20年前にすでにバリバリの大人だったはずの方まで、同窓会の連絡をしたのに「既読スルー」されたと息巻いていたりします。
そういう私も、何かにつけて返事がないと不安になってしまうこともあり、そんな悩みをずばっと否定しきることもできません。

そこで、思い返してみました。連絡手段の乏しかった20年前、私は恋人とどのような手段で連絡を取り合い、またそれはどんな頻度だったのかということを。

大学生のころ、別の大学に通うボーイフレンドがいました。彼に約束無しに会えるのは共通のサークルの集まりのときくらい。他は電話をしたりしてデートの約束をしていたと思われます。電話はどのくらいの頻度でしていたのか。記憶には全く残っていませんが、私は先述のライターのアルバイトで忙しかったし、彼もアルバイトや実習と駆け回っていた、とすると毎日同じ時間に帰宅していたとは思えないのでせいぜい1週間に一度くらい電話をしあっていたのではないかと推測されます。数時間ごとにラインメッセージを送りあうことも可能な現代の恋人同士からすればびっくりされるかもしれませんが、たぶん頻度はそんなもの。なんだったら数週間連絡を取ってない時期もあったかもしれません。

しかし、だからといって今よりも関係が希薄だったこともなく、進捗が遅かったわけではなかったように思います。電話やポケットベルは、約束を取り交わすためのツールであり、極端な場合を除いてその頻度によって相手の気持ちを測るためのものではありませんでした。もちろん「今日のランチにオムライスを食べたよ。」とか「今からバイト。」とかをいちいち知らせることなどありません。着信履歴というものもなかったので、折り返し電話がなかったとしても、単に家族が連絡を忘れただけかもしれませんし、一人暮らしの場合は純粋に忙しいのだろうと考えました。
また当時、電話には暗黙のルールが大抵の人の中にあったように思います。親元で暮らしている人に電話ができるのはせいぜい22時まで。一人暮らしであっても、夜中に連絡をするのは緊急の場合以外は「非常識」と考える人が多かったよう。

現在よく聞かれる、ラインメッセージの返信をしない相手に対し、「一言メッセージを返すくらい、トイレに行ったときや一息ついた時にできるでしょう。」という攻撃は20年前には思いもしないことでした。なぜならば基本的にトイレに電話はありません。また、返信は自分の都合だけでなく相手の都合に合わせるものであるという常識があり、自分にとってはちょうど仕事が終わった時間であっても相手はすでに休んでいる時間だと推測できれば連絡は控えるのが日常だったからです。

気付かぬうちの自分本位

メールというものが出来たとき、これは本当に便利だと思いました。これからは相手の都合を気にすることなく、好きな時間に言いたいことを連絡すれば良いのです。相手だって自分の都合の良い時間に開いて読めば良いのですから両者にとって好都合、なんて画期的なツールなのと。
そこまでは良かったのですが、問題はそこから、相手からの返信の段です。相手の方が、好きな時間に読んで、その好きな時間中に即座に返信してくれれば問題ないのですが、それをしない人がいる。できない人だっている。

仕事や、何かしらの集まりであれば連絡に対する返信はマスト。しかし、個人的な用件であれば、送るのが自由であるように、返信するか否かも自由なはず。なんですが、いつの頃からかその返信の早さや有無によって気持ちや関係、ときに誠実さが図られるようになってきてしまいました。果たしてそれは便利なことなのでしょうか。

20年前のマナーよ、もう一度

コミュニケーションツールに端を発する人間関係に迷ったら、相手の気持ちの大きさ云々の前に、もし携帯電話やパソコンがなかったらということを考えてみてはどうかと提案します。相手の勤務時間中に、今日食べた昼食について知らせるために会社に電話することはあるのか。残業で夜中に家に帰りついてそこからご機嫌伺いの電話ができるだろうか、ということを。自分がされたり強要されたなら、速攻で嫌いになりそう、ではありませんか。
連絡が取れてしまうゆえに生まれた人間関係の悩みは、不便だったころに立ち返ると案外簡単に開放されてしまうのかもしれないのです。

ほんの20年前、私たちは不便だけれど、相手を思いやりマナーを守っていました。その部分だけは現代でもぜひ、取り戻したいと最近しみじみ思います。