遠く離れた場所から精密な射撃に敵を仕留めるスナイパーは、集団行動が基本の軍隊において、個人単位で行動するケースも多く、狙撃は専門的で高度な技術であることから、超人的な能力をもった孤高の兵士というイメージも強いのではないでしょうか。
そうした凄腕スナイパーというのは、映画やマンガのなかだけの存在ではありません。
なかにはフィクションを上回るような、超人的な活躍をみせた人物もいるのです。
ここでは、有名な世界の最強スナイパーたちを紹介していきます。

シモ・ヘイヘ

史上最強のスナイパーとして知られるシモ・ヘイヘは、狙撃手として最多となる542名の戦果を残した男で、敵からは「白い死神」と恐れられました。
ヘイヘが活躍したのは1939年に起きた冬戦争で、ヘイヘの祖国である北欧の小国フィンランドは、侵略してきた大国ソ連に必死の抵抗を行っていました。
もともと猟師で銃の扱いに慣れていたヘイヘは、この戦争で驚異的な活躍をみせ、敵味方にその名を轟かせます。
上官に高い狙撃のスキルを認められたヘイヘは、戦場で個人で自由に動き回ることを認めらます。
「25人のソ連兵1個小隊をたった1人で全滅させた」、「マシンガンを撃ちながら突入してきた敵部隊を全滅させた」、「ヘイヘを含むわずか32人の部隊でソ連兵4000人を食い止めた」、「シモ・ヘイヘを討伐するよう命令を受けたソ連兵は前夜に遺書をしたためた」などヘイヘには数えきれないほどの超人的な逸話が残されています。
この戦争では、ヘイへ自身も爆発に巻き込まれて顔の半分が吹き飛ばされるという重傷を負いましたが、奇跡的に命だけは助かりました。
約100日間の戦闘の間に500人以上を仕留め、フィンランド軍でもナンバーワンのスナイパーになったヘイヘですが、性格も控えめで決して自分の活躍をひけらかすことはありませんでした。
彼は猟師だった時代から休憩時間も1人で銃の練習をしているような真面目な努力家で、戦後のインタビューで、どうしたらそんなに狙撃が上手くなれるのかと聞かれたときにも、短く「練習だ」とだけ答えたということです。

カルロス・ハスコック

いつも帽子に白い鳥の羽をつけていたことから「ホワイト・フェザー(白い羽毛の戦士)」の二つ名で知られるカルロス・ハスコックは、ベトナム戦争で活躍したスナイパーです。
北ベトナム兵93人を仕留める戦果を上げたハスコックは、映画『山猫は眠らない』の主人公のモデルにもなっています。
彼が帽子につけていたのは臆病者を意味するチキンの羽で、遠くから敵を狙い撃つスナイパーは周りから臆病者と揶揄されることがありました。
しかし、ハスコックは、スナイパーには慎重さこそが重要で、臆病者と呼ばれるくらいでちょうどいいと考えて、あえてこの羽を付けていました。
ハスコックは、2300mという狙撃の世界記録を打ち立てたこともあり、敵からは「白い羽毛(ロン・チャン)」の異名をつけられ、彼の首には3万USドルの懸賞金がかけられていました。
彼は刺客として送り込まれてきた北ベトナム軍の最強スナイパー「コブラ」との対決という伝説的なエピソードも残しています。
夕日の沈む中で行われた2人の対決は、ハスコックもなかなか相手の居場所を見つけることができず、窮地に追い込まれますが、最後には彼が茂みのなかで光ったなにかをイチかバチか撃ち抜いたことで決着がつきます。
このとき、ハスコックの撃った弾丸はコブラの眼球を貫通していました。
これは、敵もちょうど同時にハスコックを発見し、その姿をスコープにおさめていたことを意味します。
2人の生死を分けたのは、ただ、どちらが先に引き金を引いたかということでした。
この戦闘は、映画『プライベート・ライアン』の狙撃手対決のシーンのモデルにもなっています。
戦後もハスコックは狙撃手の教官に就任し後進の育成に尽力し、アメリカ軍の狙撃手育成や運用に関して大きな影響を与えました。

リュドミラ・パヴリチェンコ

リュドミラ・パヴリチェンコは、第二次大戦で活躍したソ連の女性スナイパーです。
パヴリチェンコは、史上最高の女性狙撃手といわれ、309人という戦果を上げています。
ソ連では女性も兵士として戦っていて、パイロットや戦車クルー、スナイパーなど様々な分野で活躍していました。
パヴリチェンコもその1人で、24歳だった彼女はドイツ軍の電撃戦によるソ連侵攻が始まると、自ら軍に志願し、ドイツの同盟国ルーマニアによって包囲されていたオデッサで戦いました。
オデッサが陥落すると、脱出したパヴリチェンコは今度はドイツ軍に包囲されたクリミア半島セヴァストポリでの戦闘に参加します。
数々の戦果を上げたパヴリチェンコはソ連邦英雄の勲章を授与され、狙撃教官に任命されます。
彼女はソ連の宣伝の一環としてアメリカにも招かれ、アメリカ市民の前で演説を行ったり、ソ連の民間人として初めてフランクリン・ルーズベルト大統領との面会を果たしました。

ヴァシリ・ザイツェフ

ヴァシリ・グレゴーリエヴィチ・ザイツェフは、第二次大戦の東部戦線と呼ばれるソ連とドイツの戦いで活躍したソ連軍のスナイパーです。
1942年からのスターリングラード攻防戦で活躍し、257人の敵兵を射殺するという戦果を上げています。
もともとウラル山脈に住み、地元では達人的な腕前の猟師として知られていたザイツェフは、戦地に赴いてから一か月ほどの間に、ドイツ兵225人(そのうち敵スナイパー11人)もの狙撃を成功させました。
しかも、ザイツェフは、狙撃用には作られていないただのライフルを使って32人もの狙撃を成功させていて、いかに高い腕前をもっていたかがわかります。
さらに、ザイツェフは狙撃の教官としても活躍していて、彼が育てた生徒たちは計3000人以上の戦果を上げたといわれます。
彼の功績は非常に高く評価され、ソ連邦英雄章やレーニン勲章をはじめ、いくつもの勲章を授与されています。
ザイツェフの逸話のなかでも特に有名なのが、彼を仕留めるためにドイツ軍が差し向けた刺客エルヴィン・ケーニッヒ大佐との戦いです。
武装親衛隊(SS)の狙撃兵学校の教官を務めていたというケーニッヒ大佐と、ザイツェフはスターリングラードの市街地で直接対決を行いました。
ザイツェフはヘルメットを囮に使い、敵に撃たせたところで悲鳴を上げ、命中したと思って様子を見に来たケーニッヒを見事に仕留めました。
伝説的なスナイパー対決の1つとして語られているこのエピソードですが、ドイツ軍にはそのような人物の記録が存在しないため、ソ連がザイツェフの名声を広めるために造り出したプロパガンダと考えられています。

クリス・カイル

クリス・カイルは、映画『アメリカン・スナイパー』のモデルになった、アメリカ海軍特殊部隊ネイビー・シールズのスナイパーです。
2003年からのイラク戦争で敵から「ラマーディの悪魔」として恐れられたカイルは、アルカイダなど武装勢力の戦闘員160人以上を仕留める戦果を上げました。
1900m先の敵を狙撃したり、巨大なビーチボールにしがみついて川を渡ろうとしている敵を発見するとボールを撃ち抜いて敵を溺れさせるなどいくつもの伝説的エピソードの残していて、彼の首には8万ドルの懸賞金がかけられていました。
しかし、イラクでの戦いは精神的にもカイルにとっても辛いもので、彼自身もPTSDのような症状を患いました。
2009年の除隊後には、同じようにイラクでの心の傷に悩む帰還兵をケアするNPO活動を行っていたカイルですが、2013年支援していた1人であった元海兵隊員に撃たれて死亡しました。

まとめ

以上、まさに人間を越えたような驚異的な活躍を果たしたスナイパーたちを紹介してきました。
狙撃手としての技術は訓練だけでなく、生まれもった才能による部分もあるでしょうが、スナイパーにとって求められるのはそれだけではありません。
過酷な戦場で戦い抜き、生き抜くためには、なによりもどのような状況にあっても冷静でいられる高い精神力が必要といえます。
心身ともに強靭な能力をもった人物こそが最強のスナイパーと呼ばれる存在になれるといえるでしょう。

 

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