航空母艦の誕生
第一次大戦で戦場に姿を現した航空機は、驚くべき速さで発達をみせ、航空機同士の戦闘だけでなく爆撃や偵察など戦争の様相を大きく変えました。
各国では陸上だけでなく海上での運用も考えて、海軍航空隊が編成されます。
しかし、当時の航空機は航続距離が数百km程度と短く、広大な海の上では使い方が限られるという欠点がありました。
そこで生み出されたのが、軍艦に多数の航空機を搭載し、洋上に航空基地を作ってしまおうとアイデアです。
これが航空母艦という新たな軍艦の誕生で、まず当時の海軍大国イギリスが軍艦を改造した空母「フューリアス」を建造し、さらにそれをもとにして空母「アーガス」を造りました。
アーガスは、甲板全体が飛行甲板になっている全通飛行甲板の空母で、私たちが空母と聞いてイメージする上部が平たくなっている外観の船で、これによって空母という艦種のテンプレートが出来上がりました。
イギリスに続いて日本、アメリカもそれぞれ空母を完成させ、第二次大戦では主にこの3か国が空母を戦力として活用しました。
その他、ドイツやフランス、イタリアでも空母は建造されていましたが、これらは未完に終わったり、航空機の輸送用に使われたりと、空母同士の戦闘を行うことはありませんでした。
第二次大戦、特に太平洋での戦いでは空母同士の直接対決も起こり、これ以降、航空母艦は海軍のなかでも主要な地位を占める軍艦になっていきます。
ここでは、航空母艦が生まれ、進化していった時代である第二次大戦を戦った世界の空母たちをランキング形式で紹介していきます。
第10位 信濃(日本)
1942年のミッドウェー海戦で主力空母4隻を失ったことに焦った日本海軍は、空母の増産計画を立て、そのなかで1945年3月に完成する予定だった大和型戦艦の3番艦「信濃」を空母に改装することを決定しました。
もともと、信濃は開戦によって他の艦船の建造を優先する必要が出てきたために、70%ほど完成したところで建造が後回しになっていた艦で、これを有効に活用しようという意図もありました。
信濃は、全長266m、排水量62000t、速力27ノット、乗員2400名で、兵装には12.7㎝高角砲や25㎜機銃などを搭載しています。
搭載機については諸説ありますが、40~50機程度とされ、戦闘機は烈風または紫電改、流星艦爆、彩雲艦偵など海軍の最新の機体が搭載される予定でした。
露天繋止を含めて86機まで搭載できたという話や、当時の最新戦闘機だった紫電改が着艦に成功したという話もあります。
大和型を改造した巨大空母だった信濃は、当時としては世界最大の空母であり、高い搭載能力をもった空母でした。
しかし、信濃がその高い性能を活かして戦う機会はついに訪れることがありませんでした。
1944年10月に完成にこぎ着けた信濃ですが、11月28日に横須賀を出港して呉へ向かっていたところ、アメリカ潜水艦の雷撃を受け、処女航海であえなく撃沈されてしまったのです。
第9位 アーク・ロイヤル(イギリス)
イギリス海軍は、試行錯誤のもとに史上初の空母となるフューリアスを完成させ、次いでそれを発展させたカレイジャス級を建造しました。
アーク・ロイヤルはそれに続いてイギリスで建造された空母で、それまでに培ったノウハウと技術を駆使して造られました。
アーク・ロイヤルは、全長243.8m、排水量22000t、速力30.8ノット、乗員1580名で、11.4㎝連装高角砲や8連装2ポンドポンポン砲などを装備しています。
搭載機数は最大で60機とされていますが、実際には艦戦24機、艦攻30機の54機程度で運用されていました。
アーク・ロイヤルはこれ以降のイギリス空母のモデルとなった艦で、艦首や艦橋の構造などは次級のイラストリアス級にも引き継がれています。
アーク・ロイヤルは第二次大戦が始まるとヨーロッパ方面での戦闘に投入されました。
1941年のドイツ戦艦「ビスマルク」の追撃戦では、アーク・ロイヤル搭載の雷撃機による魚雷がビスマルクの舵を破壊し、ビスマルクを動けなくすることに成功しています。
同年11月、ドイツ潜水艦の雷撃を受けてジブラルタル沖で沈没しています。
第8位 大鳳(日本)
大鳳は、日本海軍の最新主力空母だった翔鶴型を発展させ、さらに甲板に装甲を施して爆弾の直撃にも耐えられるようにした装甲空母で、日本海軍の造りだした正規空母の決定版というべき存在です。
大鳳は全長260.6m、排水量29300t、速力33.3ノット、乗員1649名で、兵装として10㎝連装高角砲や25㎜三連装機銃を装備しています。
搭載機は60機程度とされており、艦戦「烈風」19機、艦爆「流星」36機、艦偵「彩雲」6機の計61機が予定されていました。
甲板には厚さ95㎜の装甲が貼られ、700mから投下される500kg爆弾の直撃に耐えられる設計になっており、装甲空母の名に恥じない防御力をもっています。
大鳳は日本海軍が積み重ねてきた空母開発の経験と技術を集約した、日本空母の集大成と呼べる艦であり、日本機動部隊にとって期待の新鋭空母でした。
ところが、機動部隊の旗艦として戦うことができたのはたった1度きりでした。
1944年3月に完成したばかりの大鳳は、初めて参加した6月のマリアナ沖海戦でアメリカ潜水艦の雷撃を受けて運悪くガソリンタンクに損傷し、魚雷自体のダメージはそれほどでもなかったものの、艦内に気化したガソリンが充満して引火して大爆発を起こし沈没、たった3か月という短い艦歴に幕を閉じました。
第7位 レキシントン級(アメリカ)
レキシントン級は、アメリカ海軍が初の空母ラングレーに続いて建造したもので、もともとは巡洋戦艦だったものを改装した、アメリカ最初の大型正規空母です。
レキシントン級は、全長270.7m、排水量はもとが戦艦のため37000tと高く、速力は33.25ノット、乗員2372名で、武装として20.3㎝連装砲や12.7㎝高角砲を搭載しています。
搭載機数は78~90機で、最大で120機もの搭載数を誇りますが、格納庫に入るのは20機ほどで、ほとんどは甲板に露天繋止して運用されていました。
「レキシントン」「サラトガ」の2隻が建造され、それぞれ「レディ・レックス」「シスター・サラ」という愛称で呼ばれ、建造当時は世界の空母の中でも最も優美な姿をした空母といわれました。
レキシントン、サラトガはともに太平洋での戦いに参加し、レキシントンは珊瑚海海戦で沈没したものの、サラトガは潜水艦や特攻機の攻撃で何度も大破しながらも大戦を戦い抜きました。
戦後、サラトガは1946年のビキニ環礁における核実験の標的艦として沈められ、その生涯に幕を閉じました。
第6位 蒼龍・飛龍(日本)
蒼龍・飛龍はともに太平洋戦争初期に日本機動部隊の中心となった空母です。
姉妹艦といえるほどよく似た外観をしていますが、飛龍は蒼龍に改良を加えたもので、艦橋の位置が左右逆になっているのが区別するポイントです。
蒼龍は全長227.5m、排水量15900t、速力34.5ノット、乗員1101名で、兵装として12.7㎝連装高角砲や25㎜連装機銃を装備しています。
飛龍の場合、大きさは蒼龍とほぼ同じですが、排水量は17300tに増えていて、飛行甲板が拡張されています。
搭載機は蒼龍・飛龍ともに72機程度となっています。
艦橋が2隻で左右に違っているのは、飛龍では発艦の邪魔にならないよう飛行甲板の前部にあった艦橋を中央部にもってこようとしましたが、そこには煙突があったため、反対側の左舷に艦橋をおいたという経緯があります。
しかし、飛龍の左舷艦橋は飛行甲板の気流の乱れを生み出すなど評判が悪く、その後の空母で採用されることはありませんでした。
蒼龍と飛龍はコンビとして運用され、真珠湾攻撃やインド洋作戦など日本海軍の快進撃に貢献しましたが、ミッドウェー海戦で赤城・加賀とともにアメリカ艦爆の攻撃を受けて撃沈されています。